黒子のバスケという漫画が私にもたらした変化について
どうしてこの文章を書こうと思ったのか、自分でも定かではないです。この不安定な世情のせいで、会いたい人に気軽に会うことも出来ず、語りたいことを思い切り語ることも出来ない。ずっと小骨が喉元に引っかかっているような感覚があって不安なのか、焦燥感なのか、よく分からないものに苛まれ続けているからかもしれない。
私の中に渦巻く不確かな感情を文章で残したくなった。ただそれだけなのかもしれないです。そのきっかけになったのがとある方の推しについて書かれたエッセイでした。
創作されたキャラクターに自分を重ねて共感するという体験は誰にでも覚えがあるものだと思います。キャラクターと自分の人生を重ねて、共感して、そのキャラクターの生き様に惚れて、そのキャラクターの人生が報われてほしいと強く思う、そんな体験。裏を返せば、それは自分の人生が報われてほしいという願望なのかもしれないなと、そう思います。
私にとっては『黒子のバスケ』の黒子テツヤその人が、そんなキャラクターでした。
黒子のバスケと出会ったのは私が医療系の専門学校に通っている時でした。当時の私は20代後半、学校を無事卒業する頃には30代に突入するという年齢でした。ちなみに専門学校は4年制で私にとっては長くて苦しい4年間でした。学校の課題やレポート、長きに渡る実習に追われる日々。とてもじゃないけど創作する余裕なんてなくて、オタクらしいことからは遠ざかって久しかったです。のめり込みやすい自分の傾向を自分でもよく分かっていたので、学校の勉強を優先させる為に、時々漫画やアニメを息抜きに楽しむ、その程度に留めていました。
医療系の専門学校には様々な人がいました。夜間部のない学校だったので私を含めて現役生ではない年齢の人もそれなりにいました。それでも若い子達が大半を占めていて過度に気負っていたり、勝手にプレッシャーを感じていたりと、いつも劣等感に苛まれていました。躁鬱が激しくてクラスでも浮いていただろうなと、今なら分かるけど当時は本当に、周囲に付いていくのに必死で、ピエロのような道化師の振る舞いを無意識にしていたほどで、有り体に言えばめちゃくちゃ痛い奴でした。おまけに医療系の専門学校の当時は、国家試験の合格率を上げるためなのか、医療人として優秀な人間性を育てるためなのかは分からないけど、出来ない人間を篩いにかける傾向があり、勉強が出来ない子や実習で上手く立ち回れない人間は徹底的に人間性を否定されていました。
今思うとそこまで言われる謂れはない、と思うのですが、堪えきれずに泣いてしまうまで人間性を否定されるのが割と日常風景でした。私は成績はそこそこのレベルを必死こいてキープしていたのですが、実技や実習が本当にもう駄目駄目で、何度も崖っぷちに追い込まれては首の皮一枚で学校生活を繋いでいるような、そんな不安定な状態で、世界の終わりをひしひしと感じる日々だったのをよく覚えています。大袈裟じゃなくそこで落ちてしまえば自分の人生終わるのじゃないか?そのくらい追い込まれた時期だったのです。
そんな時期に『黒子のバスケ』とは出会いました。風呂上りにたまたまつけていたチャンネルで黒子のバスケのアニメの多分一期だったかな?その辺はうろ覚えなんですが、多分秀徳戦あたりを視聴して最近のアニメはクオリティ高いなぁ、面白いなぁ、って思ったのを何となく覚えている程度の印象でした。本屋に行けばコミックスが平積みされていて、今この漫画流行っているのか?っていうのにようやく思い至るくらいの認識で、まだハマるってほどではなかったしちょっと気になるアイツくらいの立ち位置でした。この時点ではまだ漫画を読むには至っていません。ちょっと気になりつつも忙しさに追われて漫画は手には取らないまま時間が流れたって感じでした。その日たまたま学校帰りのコンビニでジャンプを立ち読みして(なんでかはよく覚えていない。多分息抜きのためかな)そういえば黒子のバスケはジャンプだったよね?と思ってページをめくりました。
初めてリアルタイムで読んだ黒子のバスケは、陽泉戦終盤で氷室さんが紫原くんに本音をぶちまけるあのシーンでした。私は激しく『何これ?黒子のバスケってこんなストーリーだったの?本当に少年漫画?えっ?バスケ漫画なの?』と衝撃を受けました。それ以来気になって気になって仕方なくなり、ついに単行本を集めるまでになりました。単行本を一気に読み進めて、アニメを視聴し、本誌の動向が気になる日々。学校で辛いことがあっても一時的に忘れることができて、救われたのをよく覚えています。こんなことをしている場合ではないって罪悪感や後ろめたさも勿論あったけど、心の拠り所になるくらいには大きな存在になってました。
私が黒子のバスケで一番好きなのは主人公の黒子テツヤです。今年の彼のお誕生日を記念してpixivに上げた小説の後書きに、彼が居なければ今の私がないと書くくらいには彼が人生の推しです。黒子のバスケという彼の一年間の物語は崖っぷちに居たあの頃の私を支える拠り所でした。黒子くんがどんなに絶望的な場面でも諦めない姿は私を奮い立たせてくれたからです。黒子のバスケという物語には、どうしようもない才能の差、力量の差から生まれた溝を如何にして埋めるのか?という側面があったと私は思ってます。
物語の中では努力したからといっても報われるとは言えない厳しい現実が描かれていました。報われない努力を続けることが出来ずに、脱落してしまった子達も当然だけどいて、でもそれでも諦めずに努力を続けた子達もいて、どちらが正しいとかではないし、どちらを選んでも間違いではない。
必ずしも努力すること、努力を続けることが正しいことじゃないことを知っている程度には、私はもう大人でした。それでも多分私は『諦めたくない人間』で『諦めの悪い、曲げられない人間』だったのです。それは時として、とても生きにくくて、そういう自分を肯定したい一心で黒子くんという信念の塊のような人を拠り所にしていたんだと、そう思います。
(黒子くんのチームメイトである降旗くんが黒子くんがバスケに打ち込む姿勢を見て、諦めないで自分も頑張ろうと決意するあのシーンは何だかすごく自分と重なって、切なくなったのを今もよく覚えています)
黒子くんの生き様が不器用な私の生き方を肯定してくれたんです。それに私は正しく救われました。
才能がないことを言い訳にして、努力しないことの免罪符にはしたくない、ときっと私は思いたかったんだとこのエッセイを書きながら改めて理解しました。結果が火を見るより明らかでも、努力する過程は自分にとって無駄じゃない。とあの頃の私は思いたかったし、信じないと心が折れそうだったから。それは今も変わっていない気がします。
国家試験を目前に控えた頃、本誌は物語の終盤の苦しい展開を迎えていました。どう考えても誠凛が洛山には勝てないだろうという絶望的な局面に、ただ『勝ってほしい』と祈るような気持ちでいました。その頃の私は実習を終えて、単位を取得し、あとは国家試験に合格すれば医療人の仲間入りというところまで辿り着くことができたのですが、ここからが本当に長くて苦しい最後の道程だったのです。連日続く模試。張り出される模試の結果。自分の状況が点数化される日々に摩耗していました。模試の点数が細かく科目ごとに付けられて在学生全ての点数と順位が張り出されるという地獄絵図が毎週毎に繰り広げられるのです。今振り返っても何という地獄。自尊心はめちゃくちゃになるし、仲の良いクラスメイト同士でも優劣をお互いに付けてギスギスするという疑心暗鬼の日々でした。
医療系の勉強というのは過酷で、全ての教科書を丸暗記してもまだ足りない。そんな感じでした。人体の構造を理解するために、筋肉や骨、血管や臓器、果ては病気や怪我を余すところなく全て覚え、疾患から予後を推察し治療プランを導き出す。気の遠くなるような作業です。ずっと調べては理解して、覚える。を繰り返して、それでもまだ知識が足りないと泣き、勉強を繰り返す。そんな日々に発狂しそうになりながら立ち向かわなくてはなりませんでした。
私は得意科目はそこそこの点数を取れるレベルだったので、模試は中の中から上くらいの平均値をキープしていました。でもこの平均値をキープするのでさえも、血反吐はくような思いで正直『凌いでいる』と言った感じでした。当然脱落者だって出てくるし、点数が平均に達することが出来なくて国家試験が危うい子も沢山いました。正に努力しても報われるとは限らないというリアルな現実を生きていたのです。成績が足りなくて国家試験が目前なのに試験を受ける資格がない、と最後通牒を突きつけられた友人もいました。ずっと一緒に走ってきた戦友が脱落する姿は本当に恐怖でした。いつ自分がその立場になるか分からないデスゲームは本当に辛かったし、自分の努力を信じることも正直難しかった。そこには明らかな才能だとか力量だとかの壁が大きく立ちはだかっていたのです。それでも諦めるのは嫌だし、それまで費やしてきた時間や努力を無駄にするのが嫌で、走り続けていた、という感じでした。そもそも専門学校に入学した時点で背水の陣だった私には『諦める』という選択肢はなかったというのもあります。こんな感じの状況を数ヶ月繰り返し、本当に狂ってしまいそうでした。
ここまでくると、もう願掛けに縋ることしか出来なくて、ありとあらゆるお守りを手にし、ジングスで身を固め、奮い立たせるための応援歌をリピートする日々です。(ドリカムの『何度でも』と関ジャニ∞の『LIFE』をずっと聴いてました)
私は黒子くんカラーと緑間くんカラーのシャーペンで勉強、模試を受けるのをジングスにしてました。『人事を尽くして天命を待つ』この言葉を体現する日々が自分に来るなんて思ってもいなかったです。泣かないように涙が溢れないように上を向いて歩く、なんて陳腐なことを現実でやりながら学校から帰路についたり、あり得ないような毎日の連続でした。毎日毎日、心臓が口から出てきそうなほど脈打ち、吐きそうなほどの不安に苛まれた日々を私は黒子くんを思いながらようやく乗り切っていました。
私はジャンプ本誌の展開に揺れ動きつつも、購入した本誌のセンターカラー(黒子くんがピンの表紙)を切り抜いて財布に忍ばせ、お守りにして『神様黒子様』って何度も何度も祈りました。諦めたくなくて、諦めたくなくて、泣きながらもがく様な日々でした。
とても印象的でよく覚えているのは本誌で誠凛が究極に絶望的な曲面に陥って万策尽き果てた、ってなったあの時。日向先輩が図らずも連続ファールをとったあの回。黒子くんだけが諦めることを放棄して奮い立ったあの回。あのシーンを読んだ瞬間、私の手のひらはとても熱くなりました。黒子くんが諦めないことを選択した瞬間、熱い涙を流した瞬間、報われてもいないのに救われたような気分になったのです。
その時『あっ、もうどういう結果になっても私はきっと後悔しない』って妙な確信が生まれました。そしてそれは後に続く黒子くんが赤司くんにスティールを決めたあの運命的な瞬間に、確信へと変わりました。
黒子くんは未来は敢えて見ない、過去と『現在』だけを見据えて刹那的に生きている子だと私は思ってます。『今』のチームで『優勝する』その為に出来ることは全て『やる』後の自分が不利になったとしても、後悔することになっても、今やらないと今の自分が後悔するから『やる』そういう信念のもと行動していて、その行動が結実した瞬間があのシーンだったと思うのです。
私は平たくいうと、きっとあのシーンのおかげで開き直れたのだと、そう思います。やれることは全てやったんだから大丈夫だと思えたし、少しだけ心が軽くなり、今だけを見据えて日々を生きることができました。
『どんな結果になったとしても、ここで放棄する方が絶対に後悔するし、絶対に嫌だ。私は諦めたくないし、その為に努力したい』と真っ直ぐに覚悟することが出来たのです。
私は30年近い人生の中で、大きな決断をするということからずっと逃げ続けていました。失敗して自分の全てを自分で否定するのが怖かったからです。だから『現役生ではないのに専門学校に入学して国家試験を受ける』という選択は私の人生の中で、大一番と言えるくらいには大きな選択でした。とにかく失敗してしまうのが怖くて怖くて、がむしゃらに勉強することしか出来ず、それさえも信じられない。覚悟することが出来なくて、失敗したときの言い訳ばかり考えていました。でも黒子くんの生き様がそれら全てを吹き飛ばして、私に覚悟を決めさせてくれました。私の中に居た彼から『今だけを見ろ』と言われたのかもしれません。だからと言って劇的に変化した訳ではなくて、相変わらず模試の結果に一喜一憂して緩急の激しい自身の精神状態に疲弊したりはしていました。それでも、黒子くんの切り抜きを見ると自然と背筋が伸びて、また頑張ろうと思えたのです。
そして世間がソチオリンピックで盛り上がりを見せる年、私は国家試験当日を迎えました。
ホテルでその日の朝を迎えた私はルーティンにしていたドリカムの『何度でも』を聴きながら、あの浅田真央ちゃんのソチオリンピック伝説のフリーをYouTubeで視聴して、心を奮い立たせていました。財布に入れて擦り切れそうになるまで何度も何度も眺めた黒子くんの切り抜きを胸に抱いて、何度も『大丈夫、大丈夫』と自分に言い聞かせ、試験会場入りしたのをよく覚えています。その頃になると不思議なくらい心は凪いでいて、模試の時とは違って緊張することなく問題用紙に向かうことができました。頭の中はいい感じに空っぽで、ただ問題を解くだけといった感じです。手応えもありました。何より自分を疑うことなく目の前のことに集中することが出来たのが嬉しかったような気分だった気がします。この辺はランナーズハイならぬ国試ハイでよく覚えてはないのですが、高揚した感覚だけは今もよく覚えているのです。
一日かけて国家試験を終えて友達と打ち上げをして、その翌日に国家試験の自己採点を行いました。医療系の国家試験では合格発表前に持ち帰った問題用紙から自己採点をして、合否を判断する通例があり、私が通っていた学校では合格点プラス20点を誤差の範囲としていました。私は震える手で採点して、結果は合格点を大きく超えるもので一応のところはホッとしました。それでもちゃんと合格発表があるまでは安心できなくて(マークシートだったから解答欄がずれてたりしたらどうしようとかそんなことばかりが頭を過ぎった)そんな中、卒業式、就職活動、と慌ただしい日々に再び振り回されていました。ネットで合格発表を確認して、自分の番号を見つけた瞬間、心底安心して号泣しました。ずっとあった不安から解放された瞬間だったからです。黒子くんの切り抜きと黒子くんカラーのシャーペンが私の国家試験の象徴で、それを握り締めて何度も何度も『ありがとう』と言いました。私が諦めないで、努力することを選択することが出来たのは君のおかげだよ。と何度も黒子くんに言いました。どうか、どうか、君の運命が報われますように、と今度は私が祈る番だと、そう思いました。
その後、私は県外に就職を決めて引っ越して、新しい土地。新しい職種。新しい人間関係。久しぶりの勤労。に追われる日々を送ることになったのです。ゆっくりと本誌を追いかけることはできない環境だったけど、ずっと黒子くんの行く末だけは見守り続けていました。黒子のバスケが有終の美を飾った瞬間を見届けた時は国家試験の合格発表を確認した時みたいに、号泣したものです。
黒子のバスケという物語には本当に色々な側面があって、色んな考察があって、誰が主人公でもおかしくないし、それぞれに譲れないドラマがあって、どのチームにも心の底から勝ってほしいと思うところが本当に深いなって感じています。私は黒子くんの生き様に惚れて、彼を追いかけ続けたけど、きっと私みたいに黒子のバスケの『誰か』を心の底から追いかけて、その誰かの勝利を願った人はたくさん居るんじゃないかなと思います。そういう熱量がこの物語には詰まっていると残したくて、この文章を書いているのかもしれないです。
最終回、本当に悲しかったけど寂しかったけど、もっともっと続いて欲しかったけど、終わってほしくなかったけど、黒子くんが頑張ってきたことが報われて願いが成就したことや、キセキの世代の皆んなと黒子くんがまた笑ってバスケをすることができたことが、本当に何よりも嬉しかったです。
黒子くんは最初、才能が開花したが故に自身の才能しか見えなくなってしまったキセキの世代が必要としなくなった自分を肯定する為に、キセキの世代に勝負を挑んでいるように、私には見えました。もう一度自分を見て欲しい。その為にはキセキの世代に勝利する必要があって、でもそれは自身が否定した力の証明に他ならないという矛盾も孕んでいて、なんてアンバランスな子なんだろうとも思いました。でも物語が進んでいく中で、チームメイトとの信頼関係が深まり、キセキの世代の面々と力の限りぶつかり合うことで、互いに化学変化を起こし、黒子くんの最終的な願いが『今いる誠凛というチームで優勝する』という目標に変化したその過程が私は何よりも好きだと思ったし、これは一度無くしたものを取り戻す過程の物語なんだとも思ったのです。
黒子のバスケという黒子くんの物語を最後まで見届けることが出来て本当に良かった、と心から思うことができるラストでした。
余談になりますが、黒子のバスケでは無表情だった黒子くんが、成長する過程で少しずつ表情を表に出すようになるのだけど、私はあの試合で最後に火神くんにパスを決めた黒子くんが『ボクは影だ』と言った時の表情が一番好きだし、赤司くんが黒子くんに『お前の…… いやお前たちの勝ちだ。おめでとう』と言った表情が何よりも好きです。そして最終巻の表紙を飾った黒子くんのあの笑顔が大好きです。
何度も噛み締めるように言うけれど、黒子のバスケという物語に、黒子くんに、黒子のバスケに登場する皆んなに、出会えたことは私の誇りだし宝物です。心の底からありがとう。
そして、こんなに長くて重たい独りよがりな私の個人的な話に、最後まで付き合ってくれた貴方に、感謝の言葉を述べたいです。そんな人はもしかしたら居ないかもしれないけれど、本当にありがとうございました。
(了)