「建築をやるために生きてるんじゃない。生きるために建築をやっているんだ」
建築学生になったばかりの私は、それまでの回り道を取り戻さんと必死でした。
そもそも、建築学生というのは必死な生き物です。ハードに学ぶのが当たり前、徹夜は当たり前の世界でした。たぶん今も。
始めたばかりの大学一年生の頃は、疑問を持つことはなく、それ自体を楽しんでやっていました。みんなと大学に泊まって徹夜でトレースしたり模型を作ったりする日々が、充実していたのです。
いや、そんなに深く考えてなかったな。当たり前だと思っていたし、みんながやっているからやっていた。
でも、もともと健康的な生活を欲するタイプだった私にとって、いずれその生活は苦しくなっていきます。
生活リズムの乱れは精神の乱れにもつながり、就職せずわざわざ学び直すというプレッシャー、課題で評価されるために戦い続けることへのストレスを、増幅させていきました。
建築をやる人は、建築を一番に考えていなければいけない。寝る間も惜しんで自分を捧げねばならない。という思いが常にあり、自分はそうじゃない気がして、押しつぶされそうになることが多々ありました。
そんな時、同級生の友人が言ってくれた一言。
「建築をやるために生きてるんじゃない。生きるために建築をやっているんだよ」
どういうタイミングで言われたかは思い出せないけれど、その言葉に胸を打たれてノートにメモし、10年近くたった今でも忘れません。
大好きで大好きで身も心も捧げるつもりでなきゃ一流になんてなれっこない。
その思い込みは、ある意味正しいと思う。
でも、一流になるために大好きになろうとしているのって、正しいんだろうか?
私にとって建築をやることは、趣味ではない。日が昇りまた日が沈むのに気づかないほど没頭したことは、ない。何よりも優先することなどできない。私は建築よりも自分のことを大事に思う。
でもそれは恥ずべきことではない、なぜなら建築のために生きているわけではなくて、生きるために建築をやっているのだから。
ドライで、熱意が足りないと思われるかもしれないけれど、そうやって距離を取るからこそ私はギリギリのところで建築を嫌いにならずにやってこれたのだと思います。
他人は他人、自分は自分。
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