人生初の、Autechreのライブに参戦を試みた。@ソニックマニア

「メイク・サム・ノイズ」って言うけどさ、このノイズはマジの、「ノイズ」だ。 〜初めてオウテカを現場で(見ずに)聴いた〜

チキチキ音、ブーン低重音、蛇腹の金属を叩きつけるような騒音。こういうのはエレクトロ系のライブでよく響いてるやつだ。
このライブではその音をシンク・アシンクに平行的に流すのではなくて、音塊を絡ませて捻ったり撃ち落として壊したりするみたいで、音を物体として扱っているかのようだ。壊されて一体化したモノとしての音の塊に直に触れる。 そう、音は物質、「モノ」なのだ・・!

映像も照明も一切ない真っ暗闇の空間に、聴覚機能に異常をきたすレベルの爆音で音塊が前方から飛び出し続ける。

その音の物体から攻撃を受けているかのようにさえ感じるようでもあり、また、音自らを破壊し暴力性を持て余した圧力と向き合い続ける時間である。それはオーディエンスと音との対峙であり戦いなのだ。

ここで“ウェーイ”だとか”ヒュー”」だとか言ってみろ、横揺れとかしてみろ、やれるもんならな。

『私の妄想』


人によって感じ方は異なるだろうけど、私にはエレクトロ音楽の真骨頂として彼らの音楽がある。(とか語るには研究が足りないなw)
そこに現れる音の存在だけで全てが語られる。その感覚は言うなれば、エレクトロ音楽の「モノ派」(違うかw)。もしくは音の彫刻だ。
あらゆるモノを破壊し、無駄あるいは無意味でただ壊されたモノが転がってくる、ぶつかってくる。「生産」とは真逆の概念を音で体現しているような。

この強さは物理現象の圧力の表象かもしれない、でもどこか「憤怒」のような情感を感じるところが英国っぽい。「怒り」「鬱」を表現や主張、抗議に昇華するところがパンク精神とつながりそうな気がしている(知らんけど・・)。

エレクトロ系はプログラミングすれば何もかも生演奏しなくても済むからありがたみがない、だとか言うのは筋違いだ。クラブの空間にけたたましく鳴り響く音は中小型のスピーカーやヘッドホンとかで聴くのとは体験の種類が全く違うのではないか。スマホPCのスクリーンで観る絵画と実物の差くらいはあるんじゃないか、きっと。

鼓膜が破れるかもしれない危険を侵してまで「触れる」音楽なのだから、生半可な心もちで聴くようなものじゃないのだ。映像に圧倒されたり酩酊してトリップする醍醐味もあるが、それらに気を取られていると耳を損傷するリスクがあることに気が付かない。

これって、ノイズを味わう快楽を与えてくれると同時にライブに対する批評めいたメッセージになっているのでは・・・

このライブはまるで現代アートのようだったのだ。(会場に騒音計が設置してあったのは、まさかインスタレーションではないだろうが)

フライローまでぶっ続けで爆音を聴き続けた中年近い人間の耳を守るため、ジリジリと後方に移動。致し方ない。

22年2月から始まった軍事侵攻、その開始直後くらいにSNSで流れてきた現代美術家アニッシュ・カプーアの作品の画像投稿がとても印象深かったのだけど、それと同じような感覚を覚えた。大量の血のように見える絵の具が何かが合わさって塊になっている。絵の具とわかっても衝撃は生々しく目を塞ぎたくなるグロテスクさが強烈だった。(政治的な立場は分からないけれど、タイムリーな投稿だったから戦争の負の側面を訴えるものに思えてならなかった。あくまでも個人の感覚で想起しただけの話です。)

地獄とはこういう世界なのだと、(もしくはそんなものではないと?)想像力を働かせる。この感覚(ノイズ)を味わう快楽とそんなものは現実であって欲しくない、という恐怖。それらが同時に押し寄せてくる。

JAMES BLAKEで時間が押した・前方後方の人口密度が凄い・最後まで聴きたくなったということがあり、オウテカのライブは15分くらい遅れて入った。(やはり良いパフォーマンスをしてもらえたら、最後の拍手までするのが礼儀というものなので)

ただ、ファンとしてはご本人を拝見したかったのがちょっとある(ミーハー的でファンを名乗るのはおこがましいが)もしかしてライブ冒頭でお目見えしていたのだろうか・・。


他アーティストの感想は別途・・!

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