子どもの英語教育と大学受験とキャリア ー 教育ボランティア経験者の視点(1)
筆者について
国立理系大学院修了(情報科学)。東京在住であった際、高校生相手の大学受験指導の教育ボランティアとして活動した経験をもつ。
ボランティア活動において英語・数学・物理等の科目の指導および定期テスト対策の指導等を担当した。
普段はくまモンのアイコンで活動している筆者であるが、英語学習に関心を持ち、2019年に英検1級も取得している。
最近は「英語ガチ勢エンジニアになる方法」と題した英語学習本を出したりもしてます(露骨な宣伝)
「英語」の重要性
今や英語は将来の受験生にとっての最重要科目になったと言える。
いや、そんなことはないと思う人もいるだろう。でも英語の出来不出来で将来進学する大学のレベルさえも決まってしまうのが今の現実だ。
極端な場合では合格可能な大学が1ランク2ランクの範囲で変わることさえある。それがこれまで教育ボランティアに取り組んできた自分の実感である。
事実、英語ができる人とできない人とでは大学受験の難易度は天と地ほどの差があるし、将来の所得水準にも大きく影響するファクターとなる。
近年は東大合格者数トップの開成高校の生徒の間でも、海外留学への関心が高まってきていると言われる。
伝統的な大企業(いわゆるJTC)では東大・慶応といった学歴、そして学閥の影響力が大きかった。しかし、学歴の影響力はかつてと比べれば小さくなってきている。
海外大学進学の検討を含め早期から英語力向上を目指すキャリアの方が得であるという認識が急速に広がっているのだろう。
早期に英語学習を進める利点(大学受験の場合)
早期から英語に取り組むことが受験上有利な理由がいくつもある。
実力の維持が容易である
まず英語は一度しっかり勉強して実力がついていれば、そうそう落ちることがない。語学は一度上がったレベルが落ちにくいという特性がある。
例えば日本史や世界史といった暗記主体の科目だと、志望大学にもよるが知識を短期間で頭に詰め込んで覚えておかなければならない難しさがある。
これを1年間を通して維持するというのはかなり大変なことだろうし、受験が終わればせっかく詰め込んだ知識もあっという間に抜けていってしまうことだろう。
しかし、英語では実力を維持するための労力やコストが少ないため、一度高いレベルまで仕上がればあまり心配せずに他の受験科目の対策に注力できる。この点だけでも英語を得意とする人間は優位に立つことができる。
先取り学習と相性が良い
英語は学校で教わっている内容よりもずっと進んで先取り学習ができるという利点がある。
数学や理科といった科目で小学生のうちから中学高校レベルの内容に取り組むことはまず期待できないが、英語であればそれが十分に可能である。
語学学習においては子どもであるということがむしろ有利な要因であり、他の科目とは違って認知能力が未成熟であることが大きな問題になりにくい。
英語教育に対する感度の高い親だと、子どもが幼い段階から英語学習の指導をし始めたり、英語スクールに通わせたりする事例が多い。このような状況はとくに首都圏のような都市部になるほど顕著になる。
子どもの知的能力や忍耐力に左右される部分はあるが、ある程度勉強のできる子であれば今や小学生の段階で英検3級や準2級レベルに到達することは珍しくない。
特に優秀(早熟?)な子であれば英検2級や準1級に到達する場合もある。かなり稀なケースだが、1級に合格するような子も存在する。
先取り学習が可能と言うことは、それだけ他の子どもとの差別化がしやすいということであり、英語を早期にやる人とやらない人とで、のちのち大きな差が付く要因になる。
大学受験で得点を稼ぎやすい
日本の受験英語は以前と比べれば難易度は上昇傾向にあるが、それでも世界的な水準と比べればまだまだずいぶんとレベルは低いものに留まっている。
特に大学受験レベルの英語では、十分に英語ができる人間にとっては8~9割のスコアをとることは難しくない場合も多い。
特に最難関の国立大学受験においては2次試験の合格ラインが5~6割程度だから、もし英語で8~9割の得点を稼げるのなら合格最低点のクリアは容易になる。
最難関大学になると出題内容も採点基準も厳しく、解答欄をすべて埋めたとて、そうそう高得点を取れるものではない。しかし、その中でも英語だけは相対的に他科目と比較して難易度が低く、高得点が取れる科目である。
この点からして、英語が得意な人間にとっては大学受験における英語とは本当にボーナスステージのような存在なのである。
外部英語試験の活用ができる
外部英語試験という他の科目にない制度上の大きな利点もある。
普通の一般入試なら一発勝負のテストで点をとらなければならないが、英語では外部試験を利用できるので失敗しても何度も挑戦できる。
特に大学受験レベルだと、英検準1級を取得していれば英語は100点満点として扱われる大学も相当数ある。このように本格的な受験が始まるずっと前の段階で一定のスコアをあらかじめ確保することが可能である。
このような状況だと、どのレベルの大学なら合格できるかを見通しやすく、チャレンジ校の合格ラインや滑り止めラインの見極めもやりやすくなる。当然ながら、受験生の精神衛生上もかなり有利である。
英語が得意な受験生にとっては外部英語試験を活用できることの恩恵はかなり大きいのである。
先鋭化する英語教育
親ガチャ・課金ゲーと化した英語教育
小学生の早期から英語教育を始めるのはもはや当たり前となった。
子どもに対して早期から英語教育を施すには教育コストの負担に耐える親の経済力が求められるし、もちろん子ども自身の意欲や学習能力も必要であることは言うまでもない。
はるか昔であれば中学校で横並びに一斉スタートだった英語も、英語教育に熱心な親とそうでない親とで小学校の段階から残酷なほどに子どもの間での差がついてしまう科目となった。
日本において「親ガチャ」という単語が一般化して久しいが、現代の英語教育とはまさに親ガチャの最たるものと言えるだろう。
果ては、極端に熾烈となった中学受験である。
最近目覚ましい東大合格者数を誇っている渋谷教育学園渋谷・幕張の両校であるが、英検1級ホルダーの帰国子女もしくはインターナショナルスクールの小学生たちが帰国枠で受験するという記事まで出てくる始末である。
日本国内の最上位層に属する親はこれほどまでに子どもたちの英語教育に力を入れているのである (これが望ましい英語教育のあり方かと言えばかなり疑わしいが)
二極化を助長しかねないカリキュラム難化
近年は公立小中学校のような義務教育段階の英語カリキュラムも急激に難易度が上がっている。
これは時代に合わせた教育改革の一環なのだろうが、おそらくは子どもの英語力を底上げする結果にはつながらず、かえって脱落者を増やし二極化をより助長する結果となるだろう。
もともと英語ができる子どもたちは親の教育支援のもと、学校以外の場所で英語を勉強しているケースが大多数である。ある意味、小中学校の授業など存在しなくても何とかなる子どもたちばかりとも言える。
一方で、低所得家庭もしくは教育への興味が薄い親の子どもになると、塾に通うこともなく英語に触れるのが学校の授業くらいしかないパターンも多い。
このような状況で学校英語をいきなり難しくすると何が起こるだろうか?
学習塾や英語塾でずっと先まで先取り学習をしている子どもたちであれば、適当に流しながらでも学校の課題やテストをこなせるかもしれない。
しかし、塾にも通わず英語の先取り学習ができなかった子どもは、地頭のいい子を除いて大部分がついていけなくなるはずである。
特に義務教育では習熟度別の指導体制が十分でなく、クラス一斉に同内容の授業を行うのが主流である。
一人一人に合わせた学習進度を設定できないから、落ちこぼれた子をケアできないし、逆に勉強が出来る子どもは暇を持て余すことになる(はるか以前からこの状況は改善していない)。
また英語教員の平均レベルそのものも、かなり低いと言わざるを得ない。
本当に子どもたちにとって必要だったのは全体の英語カリキュラムの難化ではなく、習熟度別指導の充実および教材の改善だったと個人的には考えている。
無料の教育支援も "持たざる" 子どもの前には無力
教育支援にも様々な形があるが、経済的な理由で塾に通えない子どもたちを支援するのが「無料塾」という存在である。
無料塾ではマンツーマン指導のところが多く、定期テスト対策や進路指導含めて、学校の授業では手のとどかないところまでケアできる強みがある。
しかし、教育ボランティア活動に携わると達成感以上に無力感を感じることも多いのが実情だ。
というのも結局は教わる子ども側の学習意欲と知的能力が問題であって、それらを欠いた子どもたちへの指導はつねに困難を極めるからである。
NPO・支援団体の外聞の問題もあってかあまり大っぴらに指摘されないのだが、実際の指導現場においては、家庭の経済状況よりも子ども自身の資質の欠如が問題となるケースによく遭遇する。
無料での教育の場を設けること自体は、NPOや支援団体などがボランティア人員を集め、費用持ち出しでやればよい。しかし、子どもが生まれ持った能力や気質を変えてあげることはできない。
英語の習得には単語や文法を含めた計画的学習が欠かせないが、これには子どものもつ気質(忍耐強さ・自己管理能力・知的能力)が重要となる。
無料塾では単語帳や問題集といった参考書の購入代金を立て替えたりすることもあるが、こうした教材をきっちりやり切れる子はごく少数に留まる。
無料塾のような教育支援をもってしても、親の経済力・遺伝的資質に恵まれた "持った" 子どもたちと、"持たざる" 子どもたちとの差を埋めるのはほとんど不可能なのである。
教育者としてできること
現代では英語教育は「前提」と心得る
現代の教育システムに合わせてキャリア上の成功を得たければ、もはや英語を避けて通ることはできない。
研究者であれば論文は英語で書くことになるし、技術者やソフトウェアエンジニアであれば海外カンファレンスで英語を使う機会も以前と比べてずっと多い。
最先端の技術や政治経済、マーケットの動向といった一次情報については、日本語情報自体が存在せず英語でのみアクセス可能ということもままある。
このような状況下では、高いキャリアや待遇を追い求める人間ほど、高い英語力の獲得が必須条件となることを忘れてはならない。
少し前の日本では英語がそこまでできなくても大きな問題にはなり得なかった。しかし、国内の大学受験でさえ英語という科目の存在感は年々大きくなっている。
難関大学志望者が英語なしの入試形態で済ませられることはまずありえないし、英語を課さない入試で入学可能な大学のレベルは知れている。
「海外には行かないし、別に英語なんて頑張らなくても・・・」という旧世代の認識をなぞっていては、もはや子どもたちが良いキャリアを獲得することはおぼつかない。
公立小中学校の英語教育を当てにしないこと
義務教育の中心をなす公立小中学校は未だ時代遅れのまま、自己改革もままならない前時代の遺物である。
大部分の教員の英語力は低く、学校では単語帳や文法参考書すら配られることがない。教科書も使い物にならないレベルである。
公立校におけるブラックな労働環境の実態が広く知られるようになってからは、教職の不人気ぶりが加速し教員の質は下がり続ける一方である。このような状況では公立校の英語教育には到底期待できない。
子どもの指導のためには親や指導者自身が率先して英語を学習し、英語学習の重要性を身を持って示し、学校外の環境でも子どもに指導できるだけの英語力を保つべきだろう。
英語"だけ"ではダメ、子どもには専門分野の重要性を意識させよ
ここまで英語学習の重要性について述べてきたが、子どもの長期的なキャリア形成を考えると英語だけ出来れば良いというわけではない。
逆説的ではあるが、英語力を最も活かせる人とは「英語力が一切無くても社会から必要とされる専門性やスキルを持った人たち」である。
強力なスキルを持っている人が英語を学んだ場合にはとてつもなく大きな力を発揮する。しかし、英語以外に特筆すべきスキルを持たない人は想像以上に苦戦することになる。
英語とは化学でいうところの「触媒」のような存在である。触媒を活かすには特定の物質どうしが共存する必要があるのと同様、英語を活かすには核となる専門性やスキルが共存していなければならない。
また英語で仕事をしようとする場合には、翻訳者や通訳といった職業が頭に浮かぶかもしれないが、これらに就こうとする場合には決して高待遇のポジションは多くなく、要求水準や競争率が高いという厳しい現実がある。
Chat-GPTのような自然言語の翻訳にも強い生成AIサービスも出てきているので、単純な英語文書の翻訳業務自体が減少傾向にあることにも留意したい。
英語を最大限活かしたければ、他の専門分野(IT・数学・科学技術・会計・法務 etc.)とのかけ合わせが必要である、ということを早期段階から子どもに伝えていく必要がある。
英語ができれば入試の段階では確かに有利なのだが、長い目で見たときのキャリア形成には英語以外の専門分野をもつことと、そのための基礎学力を養うことが重要なのである。