ざっくり哲学史
いまだ答えが出ていない学問。
さて、哲学は一体どこから始まり、
どこへ向かっているのか。
今回はそれをざっっっくりと話していきましょう!
どうも!しょーせーです!
note書くのって楽しいですね。
これで文章書くのも上手くなれば良いなとか…
さて、今回は西洋での哲学の歴史に迫ってみましょう!
安心してください。
人物の名前はぜーんぶ、カット。
ほんとに流れだけ見てみましょう。
まず、「西洋哲学史」は4つに分かれます。
①古代
②中世
③近代
④現代
そしてどんなことが考えられたのかというと?
①古代→「この世界について考えよ」
②中世→「いや、神と哲学を一緒に考えよ」
③近代→「いや、人について考えよ」
④現代→「いや、もっと自分について考えよ」
これです(笑)
哲学勉強している方には怒られそうですが、
ま・ず・は、
こんなイメージでいいんじゃないでしょうか。
ここで面白いのは、
どんどん考えが自分寄りになっていくこと。
古代では「自分の信じてたことがなんか他の人と違うなぁ」というところから「いったん世界について考えてみない?」と当たり前に立ち止まって考えていました。
中世ではキリスト教がかなり広まって、哲学はいったん下火になります。しかし、「土地によって、みんな信仰が違うぞ」と、今度は神の証明のために哲学を使おうとしたのです。
ですが、近代では爆発的に科学が進歩し、神なんて信じなくても大抵のことは説明できちゃうんですね。だから神ではなく、もっと人について考えようとしたわけです。
そして、現代ではほとんどの現象が説明できてしまいました。しかし、ここでも終わらないのが哲学。
一般論を言われても、正論を言われても、
「納得いかない。」
「いや、それはただの説明であって…」と
どうも心にモヤモヤが残るわけです。
もっと、いやもっと!
自分寄りに考えたのが現代の哲学。
今、書店ではどんな本が置いてありますか?
『君たちはどう生きるか』とか、
『人生の授業』とか、
『嫌われない勇気』とか、
これからの自分たちに語りかけてくる本が多くないですか?
少し、話がズレてしまいましたが、
自分寄りになっていく哲学。
ざっと流れを追いましたが、あくまでこれは西洋編。
東洋ではどうなるんでしょね。
これはまたの機会に。
ではでは。