ナイツ塙の漫才論『言い訳』が面白い
漫才コンビとして有名なお笑い芸人のナイツ。
あれだけ売れているコンビにしては珍しく、ネタ番組では新しいネタを目にすることも多い。2人の風貌や漫才の安定感から、ナイツはオーソドックスで王道的なスタイルを貫いているような認識を持ってしまうが、実際はかなり挑戦的かつ新しいことを試みている。
近年のナイツのネタをいくつも見ていると、意識的に変化をさせていることが素人目にもよく分かる。漫才師の中では相当アグレッシブで大胆不敵な存在だと思う。すでに知名度があり、確固たるポジションを確立していることも加味すれば、その姿勢は異端にすら映る。
ナイツ塙の漫才論『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)を読むと、彼の本懐がよく分かる。
塙はバラエティ番組ではひたすらボケの姿勢を貫いているし、ポーカーフェイスのまま突拍子もない言動にも出ていて、人間的な本質はあまり読めない。その点で他の芸人から絡みにくさやイジリにくさを指摘されていたこともあった気がする。
本書では彼の人間臭い部分が滲み出ている。血の通った一人の人間であることが分かってなぜかホッとするし、好感が持てる。何より漫才に対して、イメージよりもずっと真摯で、煮えたぎるような熱い想いと、溶けない氷のように冷静な視点を持っている。
とりわけM-1に対する思い入れと戦略的な持論は凄味すら感じた。本書の最後で自分がM-1審査員を務めることに対しての心情も明らかにしているが、これを読んだ人であれば塙が審査員を務めることに異論を唱える人はいないだろう。
確かにナイツはM-1で優勝もしていなければ大きな爪痕を残したコンビでもない。それでもM-1や漫才そのものについて、ここまで多角的な視点でテクニカルに語れる人は他に考えられない。ダウンタウンの松ちゃんやオール巨人の偉大さも、彼らが漫才について独自の目線で多くを語れることは周知でも、ナイツ塙はその上でM-1出場経験者だ。優勝こそ逃しているものの、逆にいえばM-1の厳しさやあの場で敗けることの悔しさも知っている。
同じM-1経験者の審査員でありながら、いきなり優勝してしまった中川家・礼二やサンドウィッチマン・冨澤とはそこが決定的に違う。だから塙の審査時のコメントを聞いていると、現役バリバリならではの鋭い視点と、どこか芸人に対して等身大の、慈愛に満ちた温かさを感じるのだ。
本書は間違いなく唯一無二のM-1攻略本にして、素人にもわかりやすい漫才技術論である。多くのお笑いコンビの固有名詞も出てくるのでイメージも湧きやすい。塙は漫才の職人であり、もはや研究者といっても過言ではない。しかしながらそれ以上に、漫才を愛してやまない笑いに夢中な一人のお笑い芸人であり、純粋にどうしたらもっとウケるのかを探求し続ける少年のような男である。
個人的にナイツの漫才は鉄板のヤホー漫才も好きだが、他のお笑いコンビのスタイルを模倣しながらボケまくる、以前に『爆笑問題の検索ちゃん』で披露したネタが大好きだ。
いつものパターンは飽きたから新しいことをやりたいといった感じの導入から、塙が某人気コンビたちのスタイルをさも無意識であるかのように取り入れては途中で相方の土屋が気付いてツッコんでいくという漫才。高度な構成と馬鹿馬鹿しさの配分が絶妙だった。ツッコミも生き生きとしている。
人気番組『池の水ぜんぶ抜く』を言葉遊びにし、最後にどんでん返しで笑わせるネタも凄かった。違和感を覚えさせながらも流れるような展開で引っ張り、ニンマリさせる笑いと芸術性の高さを見せつけるプロの技だった。
ナイツといえば時事ネタも鉄板。言い間違いや言葉遊びというとサンドウィッチマンが浮かぶが、馬鹿馬鹿しさが強くシンプルであるサンドに比べ、ナイツはよりテクニカルでスパイスが効いている。一切無駄のない高度な時事ネタに仕上がっていて戦慄するレベル。オーソドックスなスタイルの漫才も余裕で出来るのに、新しさや変化を追求し続ける姿勢は芸人の鑑だと思う。
歌舞伎役者である故・18代目中村勘三郎はかつてこんなことを言っていた。
型破りという言葉があるけど、それはちゃんとした型があってこそ。型も無いのに型破りとは言わない。それはただの「型なし」だ
ナイツは確固たる型があるからこそ、型破りなネタを追求し続けることが出来るのだ。読み応えがあるのにあっという間に読めてしまう良書でした。