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君に届くな

シンガーソングライターやアイドルプロデュースなど幅広く活躍しながら、唯一無二の存在感を放つ大森靖子。

彼女のエッセイ『超歌手』を読んだ。

「今の」大森靖子の攻略本らしい。

とはいえ、まえがきで彼女も言うように、今は常に通り過ぎるもので、今と思っていた今はもう別の今にすり替わっている。そもそもこの本が発売されたのはもうけっこう前だし、実際に綴っていたのはさらに前になるだろうから、いつかの大森靖子が感じていたものをその当時の鮮度のままぶちまけて掻き集めたものだと捉えている。

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とにかく読み応えがあった。

独自の視点から語られる社会や芸術、生き方に関する至言。

ここまでちゃんと世界に対して感想を持ち、憤りや愛を隠さない人も珍しい。そのあたりに彼女の創作に対する着火点があるのかもしれない。

大森靖子は欲動に委ねるようエモーショナルにギターをかき鳴らして歌っているイメージが強い。その音楽性について専門的な視点から語れる知識のない僕は一切それらしいことを書けないが、彼女の言語感覚には以前から惹かれた。

その時代を象徴する単語や固有名詞を織り交ぜながら、まくしたてるよう紡がれる文章の中にも、明らかに教養と精度が備わっていて、勢いに引っ張られるように読んでしまう。

音楽と同じように文章にもパワーがある。

歌詞にしても何かのタイトルにしても、常套句を疑ってぶっ壊すような彼女のセンスが大好きで、『君に届くな』なんてその象徴だ。

惰性に決して流されない強い意志を細部において感じる。

プロインタビュアーの吉田豪は、大森靖子のことを「誰よりも信用できて、誰よりも信用できないところが好きです」と言っていた。

僕も彼女には妙に信頼感を持ってしまう。

理由は2つ。

ひとつは絶対的な嘘のなさ。もうひとつは同世代であること。

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大森靖子がおそらくそうであったように、僕も自分のお金で音楽を楽しむようになった頃に浜崎あゆみやモーニング娘。が全盛期だった。

鈴木あみやSPEEDもいれば、宇多田ヒカルや椎名林檎が音楽シーンを席巻した時代でもある。
aikoやMISIAだって同時期のデビューしている。女性ヴォーカルのスターが多士済々で、大森靖子が女性ヴォーカルを敬愛するのもこの時代背景が影響しているのではないか。

まったく違う土地や環境で、まるで違う頭や感性で生きてきたとはいえ、同じ時代のなかで同じペースで数字を刻んだ彼女の言葉は信頼に足る。

世代的にはもう少し上かもしれないが、GLAYやラルクもみんなが夢中で聴いていた時代だった。

『ユリイカ』で大森靖子はGLAYのHISASHIと対談をしている。サブカルからインディーズシーンまで精通したHISASHIとの対話は興味深かった。戸川純について言及する場面も興味深かった。

作業の仕方や好みも真逆であることが分かるという着地ではあったものの、互いにリスペクトがあって豊かな感性で音楽に向き合ってるのが良かった。

ちょうど僕もGLAYのライブを彼らの地元函館で観ていたタイミングだった。メンバーとファン、相互の信頼関係がとても自然体で、メンバーもずっと心から楽しそうで、極上の空間だった。大森靖子もかつてGLAYのライブを観たときに同じような感想を抱いていたという。

大森靖子は人間くさくてその純度が高い。

イヤホンで聴く音楽はたくさんあるけれど、実際にライブに行ってテンションが上がるのはやっぱり人間くさくてエモーショナルなところがあるバンドが多かった。ニューロティカ然り、ミドリ然り、銀杏やサンボマスター然り。

立て続けに『超歌手』も『かけがえのないマグマ』も『ユリイカ』も読んだ。

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大森靖子のライブには過去まだ数えられるほどしか行ったことがない。あらためて勿体無いことをしていたなと思った。

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彼女はこれからも次から次へと前例や因習をぶっ壊して、忖度も損得も排除した世界線で、自分の音楽を貫いていくのだろう。

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ふぬけ
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