コンサートレポートを3回書いて、気づいたこと。
先日の日曜日に、コンサートに行ってきました。良いコンサートでしたので、Facebookでも、ここでもレポートをしました。
Facebookのほうに、主宰された方から、「こういう角度でも書いてほしい」との依頼もあって、追加で書いたりしたので、都合3回書いたんですよね。
でまぁ、いろいろ以前から思ってはいたんですけれど、noteのほうが書きやすいなぁ、と、つくづく感じました。
まぁ、Facebookの場合、私がつながりを頂きたい方がほとんどなので(つまり、私から関係を創ろうと望んだ)、安心もある分、緊張もするわけです。言いたいことがあっても、場合によっては、飲み込んじゃうこともあります。
もちろん、コンサートレポートは、私が書きたい場合しか書かないわけですが、本当は残念な時も書きたい場合もある。でも、まぁ、いろいろ考えちゃって、辞めるんですよね。考えざるを得ないという状況がストレスだったりもします。
その点、ここでは、そういうしがらみがありません。また、コメントも私が思っていたこと以上のものを頂くこともあって、発見があったりするんですよね。「どう思われてもいいや」っていう気楽さで、残念だったコンサートのレポートを書くと、すっきりすることもあります。そのうえで、Facebookで気を付けながら、残念だった時の話を書いたりすると、割に好意的に受け留めていただけたりするんですよね。まぁ、そういう反応は、関係者以外ですけれどね、もちろん。
相手におもねって、書く真似だけはしたくありませんから、フェイスブックでもお世辞だのは、一切書いていませんが、ここでの物言いよりはソフトになっちゃいます。ただ、素晴らしかったことを、ご当人たちに伝える方法を、あまり持たない私ですから、Facebookから、もうしばらくは離れられそうにないですが。
でも、つくづく、noteがあってよかったと、思います。息苦しさを感じたら、ここに来るとほっとします。それでも、言葉には気を付けていますが(私は、口が悪いんですよ、ホントは)、そうであっても、楽になれますね。愛鳥たちが旅立ってつらいことが続いたときも、しばらく沈黙したのち、ここで吐き出せて救われたこと、何度もありますしね。
とか言いつつ、今日も愛鳥が急逝してしまいました。目の前で、死のダンスを踊られるのはかなわんです。これについては、明日あたりにでも、吐き出すことにします。
明日から、猛烈な暑さだとか。皆様、くれぐれもご自愛くださいまし。