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<傘がない>という「個人的な体験」の遠近

井上陽水の初期の作品に、「傘がない」という楽曲がある。

私は子供時代こそアイドル好きだったけれど、中高時代からは、音楽にはジャンルを問わず、背を向けていた(これには妹との関係もあったのだとは思うけれど、今は割愛します。重いわ、暗いわで脱線しかねないので)。独り暮らしをするまではラジオも聴いてなかったから、本当に何も知らない人だった。

井上陽水を知ったのは、確か今は亡きムツゴロウさんを通してだった。彼らは(きっかけなどは忘れたが)、ずいぶん親しい関係だったらしく、ムツゴロウさんが自身のエッセイで、陽水の人柄などに触れていたのだ。

だからと言って、私が陽水の音楽を聴くようになったかといえば、そうではない。きわめて近視眼で偏狭な考え方をしていた若い私には(今も、か(>_<))、自分の好きな人を通して自分の世界を広げるという余裕がなかった。心の余裕もなければ、懐の余裕もなかったので、CDを購入して聴くという発想自体、なかったのだった。

その私が、陽水の「傘がない」を初めて聴いたのは、独り暮らしをしながら、鬱の療養をしていたころのラジオだった。TBSだったかNHKだったか忘れたけれど、今にも泣きだしそうな声が、絞りだすように歌うのを耳にしたのだ。

だけども 問題は 今日の雨 傘がない

いろんな意味で、鬱屈もし日々を楽しめないで過ごしていた当時の私に、このフレーズは、衝撃的だった。”僕”は雨の中、彼女のいる街に行きたいし、行こうとしている。けれど、彼は傘を持っていない。ずぶぬれになってでも会いに行こうとしているけれど、どうも踏み切れない様子。どうやら彼は電話をするという方法を持たないらしい。

私が聴いた時感じたのは、彼が貧しいのだろうということだった(さっき、歌詞を検索して確認したら、”僕”はテレビも持っているし、新聞もとっている。どうやら貧しいわけでもないらしい)。それでも、何とかして彼女に会いにゆきたい。その切なさが妙に響いたのだ。だからと言って、この曲が好きになったのか? と問われれば、それは必ずしもそうではない。むしろ当時の私の陰鬱な日々をも思い出させるものとして、敬遠してきたような気がする。今でも好んで聴きたい作品でもない。

それなのに、何故取り上げているか? この作品を聴くと、或る小説を思い出すようになったからだった。タイトルにもある「個人的な体験」。大江健三郎の転機を表明した、記念碑的作品である(つまり、この記事を書き始めたころ、陽水の「傘がない」をラジオで聴いたのですな)。

「個人的な体験」は、大江健三郎に頭部に障害を持って生まれたお子さんが生まれたことが契機で、創られている。それゆえ、”私小説”として読まれることが多い。大江の人生に実際に起こったことを重ねて、作品があたかも大江健三郎その人の日記だったり、心情告白の記でもあるかのように読んでゆくわけだ。

作品は「鳥」(バード。以下バードと表記します)と呼ばれる主人公が、初めて誕生した我が子に重い障害が発生したとの知らせを受けてからの心情的葛藤を描いて行く。学生結婚をして、それでも家庭生活を営むことにリアリティを感じていなかったバードにとって、子供が生まれることは喜ぶべきことというより、自分が自由を失うことを意味している側面が強い。夫のそうした性格を見抜いている妻は、初めての子供が障害を持って生まれた事実に、危惧の念を抱いている。重い障害で、未来の見通しが暗い子供を、夫が見殺しにするのではないか、と。実際、妻と息子が入院している病院でも、バードは担当医から息子の安楽死を暗に勧められたりもして、少なからず動揺するのだ。

妻と息子が入院している間、バードは女友達の火見子(ひみこ)のアパートに転がり込む。彼女はバードを反核運動に誘ったりもした友人でもあり、子供のことなども含めて、苦しい心持を聴いてもらえる唯一のシェルターにもなっている。火見子は、息子の安楽死を勧める一方で、自分とバードの海外での生活を望んでいたりもする。バードに、結婚生活であり障害ある息子との共生を棄てさせようとするのだ。

夫であり父親にもなったという現実を重荷に感じ、青春時代をまだ続けたい部分も持つバードにとって、火見子の言動は恐ろしい魔力をもって、彼に襲い掛かる。

様々な葛藤を経て、結局バードは妻と息子との共生を選んで、現実生活に舞い戻ることになる。これまで、比較的破滅的だったり反社会的な作品世界を描いてきた大江健三郎だったので、当時の彼の読者や文壇はこの結末に衝撃を受けたようだ。彼の理解者を表明していた三島由紀夫が、大江に罵詈雑言にも似た批判的書評を書いて、決別宣言をしたりもしているのは有名な話である。

作品発表は1964年で、私が生まれる2年前。なので当時の空気は、のちに卒論や修論を書く際に調べた資料から類推するしかないが、文学が力を持っていた時代だったんだなぁという印象は強い。

この「個人的な体験」に、バードが息子の存在に思考のすべてを奪われて、それまで強い関心を持っていた原水爆問題に無関心になっている情景が出てくる。一人の若い父親に、重い障害を持った息子が生まれる。それは世間から見れば、本当にちっぽけなことなのだ。作品の中で水爆実験が行われた旨のニュースがテレビで報じられるけれど、バードは一切関心を示さない。世界的には水爆実験の実施のほうが大問題。けれど、バードにとっては、障害を持って生まれた息子の処遇こそが大問題であって、世界の大問題など関心の外なのだから。

この遠近とほぼ似た感じが、「傘がない」にはある。新聞の片隅に、若者の自殺が増えていることが大問題だと言う記事が出ている。テレビでは誰かが日本の将来の大問題を、深刻そうに語っている。けれど今の”僕”にとっての大問題は、大事な彼女に会いに行こうとしているのに、傘がないということ。若者の自殺の増加も、将来の日本の問題も、今の自分には関係がない。土砂降りの雨の中、どうやって彼女に会いに行くのかが、大問題なのだ。

「傘がない」は1972年発表の楽曲。「個人的な体験」から8年後の作品だ。けれど、今現在も、おそらくは世界の片隅で、世間の大問題から遠い場所で”個人的な体験”に苦しんでいる人たちが少なからず存在している。大義名分もないけれど、その人にとってはどうしても見逃せない”大問題”を抱えて、独り立ち尽くしている人たちが。

noteの記事であったり、新聞の投書欄であったりふと目にした記事の中で、時折そうした人たちのうめき声を聴くことがある。「個人的な体験」や「傘がない」の遠近は、人の世が続く限り亡くならないのか。私自身、愛鳥をなくして孤独が深くなる時など、絶望的な気分に陥って消えたくなるのだけれど。まぁ、それほどに個々人の世界そのものが、本当に深くて広いものなのだろうと、慄然とすらしたりもする。そういう人間同士がつながったり離れたり、出会ったり別れたりもしながら生きているこの世界は、やはり奇蹟なのかもしれないなぁ、などと愚考する真冬の夜である。

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先日雨が降ったこともあってか気分が乗ってきて、年越しの下書きを何とか記事にしました。書きながら、決別したはずの大江を、やはり私は愛しているらしいとも認識しました。「個人的な体験」への私自身の言及はここではしていませんが、また機会があったら、大江健三郎論みたいなものを書いてみようかと思っていたりします。

ここまでお付き合いくださったあなたに、心からの感謝をささげます。

ありがとうございますm(__)m❤💛

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