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この年末年始のことーーー2022年のご挨拶

この年末年始に、私は初めて、年賀状を書きたくないなぁ、と、思ったんです。

また、新年をお祝いする言葉・新しい年を寿ぐ言葉を発したくない気分でした。

それは、私自身の気分が”喪中”だったから。おととしの暮れから、昨年の秋まで、我が家のインコたちが天国に帰ることが続いて、ついに、体調を崩す羽目になりました。

そうした状況からは、”信頼している人の力を借りる・感情をため込まないで吐き出す”という教訓を得ました。

年末にまた、帰りそうな子がいたのですが、その子は、私の嘆きに反応したのか、踏ん張ってくれて、一緒に年を越して、今も元気でいます。

それはそれで安堵したものの、私の気持ちはすっかり塞いだ要素が大きかったのです。

「こんな気持ちで、お祝いの言葉を出したら、相手に良くないことになる気がする」

そんな風に考えて、極力お祝いの言葉を使わないで、この年末年始を過ごしたのでした。

言霊の力で、お祝いの言葉を使ううちに、私の気持ちも明るくなったのかもしれません。ただ、言葉を使う時の自分の気持ちが大事だと考える癖がある私は、やはり、気が進みませんでした。

年賀状も、いただいた分に加えて、住所がわかっていてつながりがある方には出したりするのですが、今回は、いただいた分への返礼にとどめました。

このnoteにせよ、Facebookにせよ、私とつながってくださっている方ならば、愛鳥の喪に服してます、と申し上げれば、多くの方は理解してくださると確信しています。仮に理解できなくても、心無い言葉をこちらにぶつけることは、まずないことでしょう。

ただ、大切な方々に、そういう気を新年から遣わせるのも、心苦しかったのですね。せっかく明るい気分で新年をお迎えなのに、そのお気持ちに冷や水をかけるようで。

中には、大切な存在を亡くされた方もいらっしゃいますからね。そんなことを考えていると、どうにも気持ちが乗ってこなかったのです。

ただ、長年使われている言葉って、本当に便利っていうか、意味があるんだなぁ、と、改めて気づきました。実際、定型の言葉を使わないで、では、どうやって、新年のご挨拶をするか? いやもう、言葉に詰まりました。

フェイスブックでは、8日に聴いた、山下一史&千葉交響楽団のニューイヤーコンサートのレポートを書いて、あいさつ代わりにしました。あちらでは、こうした事情書いてないんですけれどね。

そういえば、Facebookを通じて知り合った方で、愛猫が旅立ったから新年のご挨拶なし、という方、昨年いたなぁ。まぁ、それもあったので、私も、今年は控えたんですけれどね。

私が、新年のお祝いの言葉を使わないので、気にしている人もいたようです。コンサートレポートに、珍しくコメントくれたりして。

でも、昨日、ここで書いたように、noteでいろんな方の記事拝見して、コメントしたりしているうちに、やっと気分が切り替わってきました。コメントへのお返事いただいて、さらに元気になったりして。

やはり、自由で緩やかなつながりって大事です。何かあると、どうしても引いてしまう癖もあるのですが、衰えている気もする想像力と、何人かの方に「すごいよ!」と言っていただいている共感する力をフルに使って、自分にできること、やってみようかなぁ、と、思っていたりします。

2022年は、こんな感じで始まったフラーノです。「スキ!」やフォローを下さっている方々で、”はじめまして!”の方々のところには、おいおいお邪魔する予定です。

今年も、自分のペースで、自分の言葉でいろいろ紡いでゆこうと思っています。お付き合いいただければ、嬉しいです💕

今週も、後半は寒いとやら。体調を崩しやすい時期です。お互い、暖かくして、過ごしましょう💕

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