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備忘録:ユーゴスラビアで発表された、カニの幼生形質とその起源に関する論文を入手して

ウィリアムソン博士が動物の幼生の進化と起源について、論文という形で初めて発表したのは、1974年のことだった。この論文は、ユーゴスラビアの海洋関係の専門誌に発表されたものである。この国家が既に存在しないため、電子媒体での入手は困難を極めたが、国内で幸いにも入手可能な機関を見つけ、頂いたので、今回はこの内容について紹介できればと思う。


博士は、甲殻類の短尾下目Brachyuraのゾエア幼生に特徴的な形質がどのように生じたのか?という疑問を提示し、幼生の形質比較とそれに基づく考察を行った。


① 異尾下目Anomuraと短尾下目Brachyuraを分けるもの

博士は、短尾下目【カニ】のゾエア幼生の一般的な形質を記載した上で、この二つを区別する形質として、三番目の尾節を指摘した。異尾下目【ヤドカリ】ではこれが毛のようになっているが、短尾下目では短縮し、体節が消失している。


② カイカムリ科Dromiidae(短尾下目)

Lithodes maja(タラバガニ科Lithodidaeの一種)を例にあげ、本科は短尾下目に分類されるが、異尾下目のゾエア幼生に共通して見られる特徴として、ゾエア幼生の後部甲皮の棘と毛のような2番目の尾節をあげている。また、カニダマシ科Porcellanidaeでは、成体はカニらしい形をしているが、ゾエア幼生は一般的な異尾下目のゾエア幼生とは異なり、短尾下目のゾエア幼生とは全く異なるものになるという。とはいえ、異尾下目のゾエア幼生との共通点として、毛のような2番目の尾節が見られること、短尾下目のゾエア幼生との共通点として触角外肢と3番目の顎脚の退縮が見られること、から、異尾下目と短尾下目の間で平行進化が起こったのかもしれない、と述べている。


③ ホモラ科Homolidae(短尾下目)

ゾエア幼生に関して、短尾下目の一般的なゾエア幼生との共通点として、背側の甲皮の棘と長い触角棘(anttenal spine)をあげている。この特徴は両者をつなぐ共通点になるとしている。


④ アサヒガニ科Raninidae(短尾下目)

ゾエア幼生は、短尾下目に一般的なゾエアの形質を備えているが、Lithozoea serratulaを例にあげ、甲皮の表面に生えた棘と広い尾節など、ホモラ科と短尾下目の中間にあると思われる特徴が見られる。


⑤ fam.nov.?(短尾下目)

ゾエア期のみ記録があり、正式な学名は(1974年時点では)ない。クモガニ科とは、ゾエア幼生の触角外肢の出現という共通点がある。南アフリカ産のホモラ属Homolaの後期ゾエア幼生にある、五対の側面の棘が見られ、後期のホモラ属のゾエア幼生とクモガニ科のゾエア幼生の特徴が混合したものと思われる。飼育して得られたメガロパ幼生でも、クモガニ科のメガロパ幼生との間で、ホモラ様の甲皮の棘が共通しており、3つのグループ間の関連性があるものと思われる。

※おそらく後にDorhyncus thomsoniと命名されるクモガニ科の一種と思われる。頭部の両側面にある星形の棘がこれと酷似している。


⑥ マメヘイケガニ科Tymolidae(短尾下目)

Cymonomus bathamiを例にあげ、ゾエア幼生Ⅰ期から6時間でゾエア幼生Ⅱ期になること、卵の卵黄量は豊富で、そのためか、ゾエア幼生Ⅰ期から直接メガロパ幼生に発生を進行させる種も中にはいると述べている。このゾエア幼生の外観は短尾下目そのものだが、個体発生の短縮が見られる。甲皮と腹部の棘の特徴から、プレゾエア幼生の特徴を保ったゾエア幼生という見方ができ、これは幼生成熟なのかもしれない。また、腹部の棘については、fam.nov.?と類似している。


⑦ 考察

博士は、自らが幼生形質を元に推測した、ヤドカリ・カニの系統樹を掲載し、以下の考察を記載している。

・異尾下目と短尾下目では幼生と成体で特徴が異なり、両者の共通の祖先は、両者の特徴を持ち合わせていなかったと思われる。

・カイカムリ科は、異尾下目のゾエア幼生に似ている点があるが、原始的な短尾下目ではないだろうと思われる。

・ホモラ科のゾエア幼生は、異尾下目の尾節を持たず、カイカムリ科が発展したものとなるのかもしれない。

・アサヒガニ科のゾエア幼生は、カイカムリ科の初期のゾエア幼生の特徴を持ち、fam.nov.?はカイカムリ科の後期のゾエア幼生の特徴を持つ。アサヒガニ科とfam.nov.?の幼生形質の比較から、短尾下目のゾエア幼生の進化がホモラ科より起こったのか、現在のホモラ科が短尾下目の祖先になるのか、わかるかもしれない。

・クモガニ科とBrachyrhyncha(適切な和名が見当たらないが、大多数の短尾下目を指すと思われる)では、ゾエア幼生の形に違いが見られない。強力な収斂進化が各幼生に働いたのではないか、と思われる。

・ゾエア幼生期の長さと個体発生の短縮について:大多数の短尾下目では、ゾエア幼生は二期のみだが、アサヒガニ科とホモラ科は三期以上のゾエア幼生の時期がある。両者はゾエア幼生Ⅲ期以降も、腹肢を持つという共通点がある。ホモラ科からアサヒガニ科への分岐において、個体発生の短縮は見られないが、ホモラ科からfam.nov.?への分岐においては、個体発生の短縮が見られ、fam.nov.?で見られるゾエア幼生は二期のみである。このゾエア幼生は原始的なゾエア幼生の特徴を持っているが、大多数の短尾下目は、二次的にゾエア幼生を発生させたのではないかと思われる。


以下の過去記事で示したが、1974年の時点で、博士は幼生の進化について、1982年の論文や書籍でも述べた、収斂進化・平行進化・幼生成熟の発想を頭の中に思い描こうとしていたと思われるが、本論文でのみ見られる表現としては、「ゾエア幼生の二次的発生」がある。これについては具体的な過程を一切示せていないが、幼生転移仮説に繋がるであろう、幼生形態の獲得という発想の片鱗を感じさせる考察と思う。余談だが、マメヘイケガニ科のCymonomus bathamiは本論文のみに登場し、以降の論文および書籍には登場しない。その理由については今もわからないままである。


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