裏表紙:クラゲ特異的遺伝子の比較ゲノム解析とプラヌラ幼生に関して
非公式の卒業論文については、自ら終了したと理解していたはずだったが、バルフォアが唯一の一次幼生として認めていたプラヌラ幼生について、比較ゲノム解析で得られた報告が偶然にも見つかったので、本稿でもって非公式の卒業論文を永遠に終わりとしたい。仮に胸躍るような知見に遭遇したとしても、別カテゴリーとした。この卒業論文を一冊の本に例えるなら、「裏表紙」といったところだろうか。さすがに、裏表紙の次に来るページなどあり得ないので、このように名付けることにした。
沖縄科学技術大学院大学の研究チームによって、2019年に発表された、刺胞動物門の比較ゲノム解析の報告である。彼等は、生活史においてクラゲの段階を持つものと持たないものを比較し、クラゲという形が出来るための分子メカニズムを理解しようとした。ミズクラゲなど水母亜門に属する動物はクラゲになるが、イソギンチャクなど花虫亜門に属する動物はクラゲになる事は無い。前者は、卵→プラヌラ→ポリプ→ストロビラ→エフィラ→クラゲの生活史であるが、後者は、卵→プラヌラ→ポリプ→成長したポリプの生活史である。
47の分類群で保存された133種類のタンパク質で系統樹を作成したところ、従来の知見通り、花虫亜門とヒドロ虫綱・箱虫綱・鉢虫綱(いずれも水母亜門に属する)では距離のある分岐となった。箱虫綱と鉢虫綱はいずれもクラゲの段階を持つが、遺伝的な違いはヒトとウニの差はあるとされた。
彼等は、ミズクラゲ(鉢虫綱)とイソギンチャク(花虫亜門)の比較ゲノム解析を行った。この二者とヒトの間では、互いに保存された遺伝子の並びが5億年にわたり保存されていることがわかった。しかし、ミズクラゲとヒクラゲ(箱虫綱)の間では、この保存性が低くなった。共通する形態形成遺伝子であるHox遺伝子が、両者では見られなかった。この時点で、クラゲを作っているのは水母亜門のゲノムの再編成だけではないと考えられた。また、ミズクラゲのゲノムはヒクラゲよりは刺胞動物門-左右相称動物の共通祖先に近い特徴と持つと考えられた。
続けて、ミズクラゲとヒクラゲにおける、クラゲの段階に特異的な遺伝子発現を比較した。互いに1000以上の遺伝子が該当したが、両者で共通する遺伝子は97個のみであった。13個のホメオボックス転写因子のセットがこれに含まれた他、クラゲの推進力に関わるmyosin tail proteinも含まれた。この遺伝子は、花虫亜門と水母亜門のいずれにも見られたが、反復配列を持たない本来の遺伝子に加え、反復配列を持つ遺伝子も見られ、複数種へと多様化を遂げていた。
シグナル伝達分子として知られるWntでは、ミズクラゲとヒクラゲの両者で、多くのWntを共通して持っていることがわかった。Wntは、各組織層(外胚葉や筋肉層など)や前後の極性に重要であり、これをミズクラゲの発生途中で過剰発現させて形態異常を起こした実験で、ポリプからクラゲへの変態にも必須と考えられた。刺胞動物門内において、WntはHoxよりも形態形成に重要と考えられる。
実際、ミズクラゲやヒクラゲには、花虫亜門やヒドロ虫綱に見られるHoxクラスターが見つからなかった。ミズクラゲとヒクラゲの間には、Hox1遺伝子が保存されているのみであった。しかし、この発現パターンが両者で異なり、持ちうるHox遺伝子のみならず発現時期・場所まで多様化していると考えられた。
また、これとは別に、両者にはHoxのミニクラスターが存在し、ポリプからクラゲへの変態時期に発現していた。Hox遺伝子は左右相称動物のように体節形成には関与せず、変態の制御にのみ働いているのかもしれない。
更に、ミズクラゲでは、左右相称動物のHox遺伝子とは異なるParaHoxクラスターが見つかった。3種類あり、Xloxはクラゲの段階のみ発現し、GsxおよびCdxは全発生段階で発現していた。ただし、ヒクラゲにおいては、3種類とも存在したものの、点在しており、クラスターではなかった。加えて、イソギンチャクにおいては、XloxとGsxの2種類のみであった。ParaHoxのクラスターは、刺胞動物門と左右相称動物の共通祖先に備わっていたのかもしれない。
最後に、刺胞動物門の動物が必ず持っている棘細胞についても、彼等は解析した。これは餌を捕るための器官だが、形態や機能は門内で著しく多様化している。しかし、数種のミニコラーゲンでいずれの棘細胞も成立していることがわかり、ミニコラーゲンのクラスターは棘細胞を形成するための一つの表現型の集まり、と考えられた。
彼等は、今回の比較ゲノム解析から、4つのことを結論として述べている。
① ミズクラゲはヒクラゲよりもイソギンチャクに近かった。ゲノム解析上、鉢虫綱は箱虫綱よりも原始的な情報を残しているといえた。ミズクラゲではParaHoxがクラスターだが、ヒクラゲでは点在しているのもこのヒントなのかもしれない。
② クラゲの段階に特異的な遺伝子発現は、花虫亜門にはない数多くの遺伝子が該当した。全てのクラゲの段階に特異的な遺伝子の約1/3に相当した。ただし、花虫亜門と共通の遺伝子の発現も見られたことから、ポリプからクラゲへの変態では、従来の共通して保存された遺伝子に加え、花虫亜門にはない新たな遺伝子という両者の共同作業が必要と考えられる。
③ ミズクラゲのポリプとクラゲの段階では、特異的に発現している遺伝子の割合は、遺伝子の種類は明らかに異なるものの、各々30%台であった。このことは、各段階が類似したものであり、ミズクラゲのポリプとクラゲが遺伝的に花虫亜門のポリプとは別物になると考えられる。
④ 花虫亜門と水母亜門で唯一共通して保存された発生段階は、プラヌラ幼生だけかもしれない。この幼生は、刺胞動物門の祖先のボディプランとして、最有力候補であると考える。
類い希なる才能を持ち、そして遭難により夭折したバルフォアの達観に、打ち震えた。彼は、唯一のオリジナルの幼生として一次幼生=プラヌラ幼生と考えていた。そのことが100年以上経って証明された、とは断言できないが、示唆されたのである。プログラミングによる数理解析や統計解析が今世紀になってから格段に進歩した今日、バルフォアが二次幼生としてきた、プラヌラ幼生以外の全ての動物門の幼生に関しても、その由来が明らかになる日が近いのかもしれない。
参考リンク
動物の分類に関して参考に使用した情報元です。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/taxonomy/coelenterates.html
使用文献
Medusozoan genomes inform the evolution of the jellyfish body plan Konstantin Khalturinら著 Nature ecology&evolution VOL.3 MAY 2019 811-822
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