見出し画像

コロナで対面なしの学校の授業は、日本の学生にとって良かったのか、帰国子女の私が思うこと。

コロナ自粛で、人と会えなくて寂しい。

当初はそんな声がチラホラ聞こえたが、今も聞く?


コロナ禍の自粛期間中、私は大学院生として大学に通った。

講義や先生からのインプットだけでなく、

自分で発信するアウトプットまでもが、

すべて、自宅で完結したわけである。

それだけではない。

仕事も自宅で完結するものに変えたため、仕事・勉学・家事、それらすべてが、自分の自宅の一室で完結するものになった。

勉強はやはり対面が良い、とか、先生の近くで学びたい、とか、一緒に勉強する仲間がほしい、とか、もちろん、そういった側面もある。

ただし、もともとそんなに日本社会に馴染んでいたわけではない帰国子女の私は、多分、他の人より、コロナで恩恵を受けたほうだと思う。

ZOOMで会議を行い、

ZOOMで仲間の生徒と飲みニュケーションし、

ZOOMで先生の講義を受ける、ZOOM中心の毎日。

ZOOM中心の生活に、私は、満足している。


ZOOMの良さは、個人的には2つ:

①日本の文化を色づける部分がすべてなくなり、サッパリした気分。

すみませんね、オブラートに包めなくて。

「本当は思ってないよね」という日本人の嘘くさいコメントやお世辞、

とりあえず愛想笑いして会話に合わせておきましょ、という会話、

それらすべてがZOOM上では省略され、

仮に少し行われたとしても、ほんの少しで済むので、

簡単に聞き流せている自分がいる。

お礼の品とか、お辞儀を繰り返すとか、涙流してサヨナラするとか、そいったこともなくなった。

「あえて」やっておく作業、

「とりあえず」言っておくお世辞、

「何の気なしに」間を埋めるためだけに発する挨拶、

これらすべてが、大方省略されたわけである。

日本人は、「間」を大切にする文化だ、とか、ヒトの気持ちを重んじる優しい文化だ、とか、いろいろ言う人がいるけど。

それらに苦慮している人も案外多く存在するのだ、ということを知る、良いキッカケになったんだとしたら、コロナは日本人が成長する良い機会だったと思う。

もちろん、外国の人にも「他人への気遣い」は存在する。

相手に配慮を示す必要性は、世界万国共通のマナー。

但し、「KY(空気を読めない)」「忖度」という言葉に代表されるように、度が過ぎる気遣いに、ストレスを感じる人が一定数いるのも事実。

現に、私が最も受ける誉め言葉は「いいねぇ、そんなにストレートに、ヒトの反応を気にせず言えたら、気持ちいいだろうねぇ」だ。

いや、私もこれでも結構気を遣っているつもりなんだが・・・w

でも、他人への優しい気持ちがすでにあるなら、外国の人みたいに、もう少し、ダイレクトに、ストレートに、言ってみてもいいのではないだろうか。

と思っていたら、ZOOM中心になることで、日本人も一気に私に似てきた。

それが日本人にとっても心地悪いことではないということは、

先日大学で取ったアンケートの半数以上が、現状のZOOM授業で満足している、と答えたという結果にも、これが如実に表れている。

②質の高い講師と低い講師の「炙り出し」が容易になった。

先生たち、ゴメンなさい。

でも、この先生、教え方上手じゃないよね~というのが、一発でわかってしまうのが、ZOOMの授業。

もうちょっと準備してほしい、中身が薄い、そういう授業は、少し教え方が慣れている先生であれば、対面ではごまかせたものの、ZOOMでは不可能。

ちゃんと資料も用意し、どれくらいの時間が必要かを見極める準備をし、発声練習をしている、そこまでやってくれる先生の授業は、受ける側もすぐわかるし、やはり面白い。

それらが明らかになったということを、先生側ももっと意識をすべきだと思う。

今後は、大学だけでなく、すべての「学校」という教育形態の「質」がさらに問われる時代になるだろう。そして、それはいいことだと思っている。

日本の教育は、変わらなければいけない。

私が小学校に通っている時代から、これまでの30年、一番変わっていないのは教育現場だと思う。

日本の教育に変化をもたらす用意があるか、その質問に答えを出す時代が来ている。


いいなと思ったら応援しよう!

英語✖会計を同時に!/by USCPA スグリンガル学校
よろしければサポートお願いします!頂戴したサポートは、今後の記事の質向上に使わさせていただきます!