自分が相手から何を受け取れるかは自分が相手に渡すものにかかっているのだ。
飲食店のアルバイトは結構楽しかった気がする。美味しい料理に幸せを感じる人たちは多いし、そういう幸せな場でお給料が貰えるのはとても有難い事だと思っていた。
と、同時にオトナの理不尽さをこれでもかと学んだ場所でもあった。
「おはようございます。今日は早い時間から混みあってるみたいですね。」
「おう。ホールは人が足りてねえみたいだぞ。早く行ってやれ。」
この助っ人板さんがヘルプに来てるということは厨房も大変なんだろう。ここはもともとレストランだった箱を改築した店で居酒屋に少し毛の生えた程度の和食屋なのだが、味とコスパが良く落ち着けると評判で食事だけの家族連れから軽い接待のサラリーマンなど客の幅も広かった。僕は手早くユニフォームに着替えるとタイムカードを押した。
「も~今日はアタシあっち行きませんからね!」
マキちゃんはぷりぷりと怒り心頭のご様子でトレンチを振り回しながら個室のオーダーを厨房に通しているところだった。
「個室?今日は…ウミヤマ建設さんかあ…。」
僕は予約のボードをチェックしながら肩を落とす。
「マキちゃんはこっち側のホールだね。個室は僕らで対応するよ。」
ウミヤマ建設は頻繁に利用してくれるお客さんなのだが、どうにも品がない。上から物を言うのはデフォルトだし、女の子には必ずセクハラする。シロウトのくせに頼んでもいない料理の味付けのアドバイスするし、閉店時間になっても居座るしで、簡単に言ってしまえば金払いの悪くない迷惑な客だった。
「すいません…。ちょっと、個室のお客さんが怒っちゃってマネージャー呼んでこいって…」
デシャップに戻ってきたシミズくんが泣きそうな顔をしている。
「な、どうした?大丈夫か?」
僕らが狼狽していると背後から低めの落ち着いた声がする。
「大丈夫ですよ。行ってまいります。」
そうやって、おだやかに微笑みながらマネージャーはゆっくりと踵を返した。
タキザワさんはどこだったか星のついているレストランでサービスを担当していたそうなのだが、現在はここのオーナーにスカウトされてマネージャーを担当している人だった。長身で、言葉遣いと佇まいが驚くほど美しい。バレエダンサーのようにエレガントな彼のお辞儀が、僕はとても好きだった。
シミズ君から聞いた話では、オーダーを受ける前に調理に時間が必要な物であると念を押したにもかかわらず、提供が遅いというそれだけのクレームだった。
「カマ焼きが10分で出せるかっつーの。くっそー!個室の室内温度1℃上げてやろうぜ!」
その日は7月の暑い盛りだったし、部屋が暑ければ早く散会するだろうと、僕らはいつもの仕返しの念も含めてエアコンのコントロールパネルをいたずらしようとしていた。
「いけませんよ。」
僕らはタキザワさんのいつもよりも強めの声に驚き、すみませんと慌てて姿勢をただした。
「いけません。そんな生ぬるいことでは。3℃上げましょう。」
そういってタキザワさんはパネルの△ボタンを三回押し続けた。僕らは爆笑しながら持ち場に戻った。その日の個室の生ビールの売り上げはいつもの3倍近くになった。
タキザワさんはいつも通りの美しいお辞儀で最後のお客様を見送ると、僕と一緒にテーブルの片付けを手伝ってくれていた。
「お迎えする側と、お客様と、対等であってこそサービスは成立するものだと思いませんか?」
そうですねと僕はゆっくりと頷いた。その日は空のジョッキが、いつもよりもずっと軽く感じられた。