居場所と生きる場所と生き方
存在感はある。それは宝ジェンヌのような華やかさではない。ただ身体的にデカイのである。邪魔なんである。場所ふさぎなんである。そして大量の捕食。イライラするんである。お前はどれだけ燃費の悪い生き物なんだ象かモグラかランボルギーニムルシエラゴか!
そう叫んでいただろう。今、目の前でメロンパンを貪っているそいつが実の兄でなければ。
家庭を持った男たちは、家に居場所がなくて、会社にも居場所が無くて、居酒屋で騒ぎ、出入り禁止にされ、何処に行っていいのかわからず、病院の待合室で眠ったり、週末の図書館の椅子で眠ったりしてるんだ。
眠らせてやってくれ。世界は欲しくないモノにあふれている。
こんな社会に誰がしたのだー!偽善者まがいの上司の言う通りにー!キレる妻のいう通りにー!この国を支えてきたのは我々ではないかー!いちご白書はー!旨いパンケーキ屋の店名ではないのだー!アジ演説はー!声の大きいクレーマーなんかではなーい!コラアー!アジは魚のアジではなーい!我々はー!この腐りきったー!抑圧された社会からー!勇躍しー魂のー自由を勝ち取るべくー!立ち上がろうではないかー!今こそー健康診断の結果をー破り捨てろー!!
何をどう抗えばよかったんだろう。それが正義だと教育されてきた。誰もが平均的馬鹿で良いとされてきた。汎用性を求められてきた。個性を主張すれば勝手なやつと罵られてきた。ハズれた者は切り捨てられる世の中だった。
だけどきっと、
もう遅くたって、不器用だって、なんでもやってみたらいいんだ。
過去に置いてきた、ただの無数の点だって、結んでしまえば線になる。
無駄なものはなにひとつなかった。今どんな風に点と点を結べばいいか、ただそれだけの事なんだ。
「メロンパン、お前もくう?」
身体はデカイがハートは小さくて酒も飲まない優しい兄なのだ。昔から。腹黒い僕と違って。
だから時折優しく接してやるんだ。
「いらないよ。日本の葬儀事情がさ、火葬でよかったね。」
(228日)