好きな映画の中の好きな音楽の話①
年末も近いこの頃の土曜日、今年観た映画の劇伴や挿入歌をメドレーにして聞いていたらいろいろと思うことあったのでみんなに見せびらかそうと思って開設しました。みんながどうやって新しい音楽を探すのかはよく知らないんですけど、私は映画音楽とほかの国のヒットチャートとセンスがいいアカの他人のいいね欄を手掛かりにディグっています。
キュレーションサイトのライター兼編集部員として一年半?くらいのらりくらりと有用な駄文を書き散らしてきたわけですが、それらは一応外向きのものなので著作権や肖像権を守ったりしつつ一応かなり「見られる」前提の文章だった。そこでそろそろ主語が「私」の文章を書きたいなって思った。それを公開する理由は特にないんですけど。最近心酔してしまった逆噴射聡一郎のブログの書き出しは決まってこうです。
よくきたな。おれは逆噴射聡一郎だ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。(出典:【日報】おまえはバーフバリで現代の神話を目撃する(逆噴射聡一郎))
かっくいい。ソシャゲに課金したことのない私が初めてインターネット上で完結しているサービスにお金を払ったのが彼の文章で、二週間ほど前のことです。それから彼がバイブルにしている「デスペラード」も観た。エル・マリアッチ、真の男。私は森で暮らして裏庭で取れた木苺を煮詰めてジャムにする生活にも、ゴシップガールみたいに毎週末ヤバいテンアゲのセレブパーティをする生活にもめちゃくちゃ憧れるんですけど、こういうエッセンスの純というか行き過ぎた質実剛健の狂気みたいなやつにもめちゃくちゃ心惹かれますね。セッション。
私は今日記を書いているつもりだ。ツイッターを始める前は叫ぶところはつねに自分の雑記帳だったし、始めてからも誰にも読ませるつもりはない「アレよかったよねノート」はずっとつけている。私は基本的に同じ話を何度もしたがるタチで、ところが同じ話を何度も聞きたがる人はいないので、自給自足で黒いノートにアンドリュー・スコットいいよね!という話を一日に一回書いては悦に入っているのである。
同じ話をしたがるのは私がエピソード記憶重視の人間だから、それを話すことによってその内容を反芻するときの快感を何回も感じたいんだね。アナログなノートからここnoteに拠点を写したのはひとえに逆噴射聡一郎先生と同じ土俵で文字を書きたかったからです。
まあ、あんまり「読みたい人だけが読んでください←」も「自分用メモ、いわば備忘録です()」みたいなやつも好きじゃない。予防線がはっきり見えすぎていてダサすぎる。自意識はもう少しうまく隠した方がいい。
ただ、大勢の人に読ませるようのやつはちゃんと読ませる前提の文体にしてもっとこまやかに推敲してトピックも注意深く選ぶんだけど、この文章ではそうはしないので。観た映画と聴いた音楽の話をするので、おんなし映画を観た人か私の聴いている音楽を知りたい人だけが読めばいいと思います。後の人は想定していないです。
ここまでで1076文字か、楽なもんだぜ。『シュルレアリズム宣言・溶ける魚』ですね。そんな感じで、ガンガン主題から話はそれますが、ドライバー向けの深夜ラジオみたいなもんだと思ってください。
今日は好きな映画の中の好きな音楽の話をします。
「シング・ストリート~未来へのうた~」がアマプラに来ましたね。
2018年上半期にDVDで観た中で三本指に入る良い映画でした。って7月の日記に書いてある。
アイルランド作品って珍しいね。私アイリッシュアクセント好きなんですよ。フロウがリズミカルで普通に話しててもちょっと歌ってるみたいな感じがするよね。
世の中にはハイスクールはみ出し者というジャンルがあって、『ウォールフラワー』とか『レディバード』とかが当てはまるんですけど。私はこの作品を観てからハイスクールという概念にハマってゴシップガールをめっちゃ観た。塾講師が言うといかがわしいのですが、どんなに性格が悪くてどんなに悪事を働いていても全員年下だと思うと途端に愛おしいんですよね。あとはセレブの子どもの高校生が下々の者には理解できない速さで余裕ぶってまくしたてるシーンがフェチです。アメリカのハイスクールに生まれてクラスのボス的な金持ちの女の子にトイレで頭から水をかけられながらヘラヘラしてうわ気持ち悪い、みたいな目つきで見られたいですね。
シングストリートははみ出し者の男の子が一目ぼれしたモデルの子にハッタリをかましてしまったことがきっかけでバンドを組むことになるジュブナイルコメディものの映画で、比較的誰にでも刺さるやつなので見てほしい。
というかさあらすじ説明するの苦手だからここはヤフーから剽窃する。個人ブログだとこういうことができる。
1985年、ダブリン。両親の離婚やいじめで暗い日々を過ごすコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は、音楽好きな兄と一緒にロンドンのミュージックビデオを見ることが唯一の楽しみという14歳。ある日、ラフィナ(ルーシー・ボーイントン)を見掛け瞬く間に恋に落ちた彼は、思わず「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ってしまう。慌ててバンドを組んだコナーは彼女を振り向かせようと、クールなPVを撮るため音楽活動に奔走する。
主人公のコナーが書く歌詞は次々とすばらしい。あの内気でおとなしい少年がこんな素敵な比喩を使うんだな。サントラは観た日からずーっと聞きこんでいる。
一番好きなフレーズは最後の公演でうたう『Girls』の二番の歌詞。
「みんなただ磨かれてないだけのダイヤモンド
風呂場の鏡に映る僕にはまだ見慣れなくて
僕をじっと見つめて、ぎゅっと睨んでよ
きみの好きな誰かがきっと見えるからさ」(拙訳)
すごいね。「複雑な男の子はみんな知ってる、女の子もみんな複雑(complicated)だって」 っていう感じの歌なんですけど、彼のようなバックグラウンドと感性の彼にしか歌えない歌があって、それをこんな形で人前で歌えることは素敵なことだ。
ストーリーの中では曲の構想は美術の先生が何気なく主人公にかけた「それって複雑な男女関係なのね」というセリフに起因していて、そうゆう劇中歌の伏線が張れるのが映画のいいところだよね。そーゆーのはたいてい二回目を観ていて気付くことなんだけど。物語には線状性があるのに最初から振り返らないと張ってあるギミックに気づかないのは不思議だね。まさに芸術が生まれるところ、って感じがする。
特に二行目のくだり!(原文はI’m still a stranger in the bathroom mirror)むきむきと成長していく自分に実感がまだついていけないくらいの戸惑いがかえってすごくリアルで胸を打たれてしまった。歌い手の繊細さと弱さ、そして芯の強さが両立している名フレーズだね。
劇中の音楽の歌詞って一回目に観たときはまだ歌詞として入ってこなくて、サントラを聞きながらあ~こんな詩だったのね、ってなることが多々あるよね。その時に初めてびっくりしたり改めてエモに潰されそうになる。映画じゃないんだけど初めて歌詞が歌詞として入ってきたとき本当に腰を抜かしてしまったのは大森靖子の「夏果て」っていう曲で、少女をおっさんがある夏に監禁して殺す、みたいな彼女の曲の中でもかなりぶっ飛んだ歌。最近彼女はこういう歌を作らないですね。色んな女の子を救うために主語が大きくなっている感じがして、それはそれでありがたいけれど。夏果てという曲は大森さんがラジオで弾き語ってたのを録音して折に触れて何度も聴きながらなんとなくノスタルジックなメロディーだな~と思ってたんだけど、ある日急に最後のフレーズが「言葉」として入ってきてめちゃくちゃ背筋が凍ってしまった。
「一年ぶりの夏なのに君の裸を眺める夢を見て
冷凍庫に転がる頭にkissして涼しい昼下がり」
ホラーソングの真の意味に気づいて恐怖したというよりかは、なんとなくずっとBGMとして聞いていて雰囲気が先行して耳に馴染み過ぎたのか、近所に住んでいる女の子をいつのまにか顔見知りのおっさんが殺してたことを人づてに聞いたみたいな生身のショックを感じてしまった。そんな個人の体験は曲の意図からはみ出てしまうのかもしれないけど、歌との出会いのそういうエピソードごと抱きしめられるものが多いほど、自分が情感豊かになっていくよね。
とりあえずシングストリートは本当にいい映画なので見てほしい。観るものに迷ったら選択肢に入れてください。心が温まるし、それだけじゃないので。物語やアートにしかない世界に憧れる冴えない少年が最後にイギリスでデカい夢を叶えに行く構図はハッピーエンドのその先を描いていて、邦題の「未来へのうた」はそういうことなのかな、と思う。ダサいけど。
あとゲームオブスローンズの一番好きなキャラクターを演じていたエイダン・ギレンがさえないお父さん役やっててめっちゃよかったです。
「君の名前で僕を呼んで」今年封切りの映画を語るのにこれは外せない。まー今年映画館で観たのはあと「グッバイ、ファーストラブ」と「レディバード」と「オーシャンズ8」くらいなんですけど。
イギリスで先輩に勧められてから帰りの飛行機で、時差ボケで回りが寝ている中イヤホン挿してじーっと観てた。三月末のことだ。封切られてから日本でもう一回観た。来週また観に行く。
これもサントラを半年間ずっと聴いてました。まず一曲目の「Hallelujah Junction」から透明感がすごいよ。ハレルヤ・ジャンクション。こういうタイトルの漫画とかあったら絶対手に取るよね。ウィキによるとアメリカの実際にあるジャンクションの名前らしいです。
この映画を語るのにSufjan Stevensは外せない。「Mystery of Love」と「Visions of Gideon」の二曲がこの今年の名作を世紀の名作に押し上げたといっても過言でない。私はこのブログではつとめて自分が思っているより強い言葉を使わないのが目標なのですが、その私が言うのだから間違いはないです。
ちなみに強い言葉というのはイキリオタク構文のことではなく、プレゼンターやライターが使いがちな、人の目を惹くために使う必要以上の賛辞や批判や誇張のセンセーションのことです。特にネット記事の煽りタイトルはヤバい、インターネットは行きつくところまで来たなあという感じがするよね。個人ブログじゃなくてキュレーションサイトの、情報の発信者であるという自覚のある人がしてはならない言葉遣いだと思う。エクスペリアにはフォローしたワードのネット記事を拾ってくるコマンドがあるんだけど、あの一覧をザッピングするたびに私は「ポストアポカリプス」という言葉を連想する。響きがかっこいいからね。
コールミーバイユアネーム。スフィアン・スティーヴンスの劇中音楽はすばらしかった。すばらしかったので、彼の音楽についての知見をこの映画にとどめてしまうのはもったいないと思う。なぜならこの映画における彼の音楽は、スフィアンの一面しかまだ映し出していないからだ。
スフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens 1975年7月1日 - )は、ストーリーテリングを得意とするアメリカ・ミシガン州出身のソングライター。自伝と宗教的な幻想と土地の歴史を絡ませながら、スケールの大きなフォーク・ソングを作り出す。レコーディングでは、複数の楽器を自らこなし、全ての楽器の要素を素敵に組み合わせて奏でられるメロディーが特徴。自身のユニークなアイデアで、アメリカ50州のそれぞれのためにアルバムを作るという壮大な計画を発表し、話題を呼んだ。(ウィキペディアより)
これはリーチを稼ぐための文章ではないので、紹介がめんどくさいときはウィキペディアに任せることができる。
彼は2015年にCarrie & Lowellというアルバムを出した。私はブログのURLにあるFuneral Setlist、つまり「葬式のセトリ」をアップルミュージックで組んでいて、つい最近まで彼の曲はトリを飾っていた。葬式のセトリについては長くなるからまたの機会にする。
このアルバムの一般的な批評はここがかなり的を得ているので参照されたし。基本情報を要約すると、彼スフィアンが母を亡くしたことをきっかけに編んだアルバムなんですね。ご両親の名前をタイトルに持ってくるの素敵よね。
このアルバムの一曲目は「Death With Dignity」。尊厳死。歌い出しはこうだ。
たましいの静けさにあなたの声が聞こえる
そばにいるのは怖いよ
どこから始めようか
どこから始めればいいんだろう
(拙訳)
母を追悼するアルバムとして、恐ろしいほど死の間際の静けさを生々しく描き出しているオープニングの曲だ。「テーブルの上にアメジストと花が飾ってある これは現実か、それともおとぎ話かな」ただ、旋律はあくまで穏やかで美しい。前述の大森さんの話のときにちょっと言ったけど、個人的なことをうたった方がその歌が届く人はその分すくなくなるけれど、その分誰かには深く刺さることがある。この「尊厳死」という曲はとくに近しい人をまさになくそうとしている間際の、奇妙で現実感がなくてふわふわした時間のことをリアルに写し取っていて、それで何かを思い出す人は思い出すんだろう。私の祖母の最期の言葉は「情緒不安定」だった。
それからエモ・オタクはこういうの好きだと思うんですが、スフィアンは昨年、他の三人の音楽家と組んで「Planetarium」というアルバムを出した。これは太陽系の一つ一つの惑星をモチーフにした曲が17曲入っている。またこいつ宇宙の話してるなって感じですね。
宇宙が好きなのは人の一生の長さを想定していない距離感と、人に見られる前提で作られたわけではない美を感じるからです。夜中にツイッターで何度も貼ってるのでもう国際宇宙ステーションのライブカメラが捉えた地球の姿を見たことがあると思うんですが。
結局、他者の視線を想定していないものが美しい、という考えがある。たとえば、イギリスのオルタナのバンド「THE 1975」が2016年に出したアルバムタイトルは、「I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It(君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。)」(リンク先はこのアルバム収録の「The Sound」)だし、ONE DIRECTIONもなんか似たような内容の歌をうたってましたよね。地球なんてものはその最たるもので、良く見せようと手が加えられていないのにあんなにも美しい。我々は一生かかっても地球の美しさにはかなわない。正直私は最近のやっきになって自然を保護する一連の流れがそこまで好きではない。なぜなら人間が実質あらゆる動物の生殺与奪の権利を持っていることを無視しているからだ。自然を保護したいという人間のエゴから目をそらしてはならないし、その限りにおいてチャリティーやら運動は成立しているべきだ。生み出すものがあれば壊すものがあり、それは長い歴史の一連の流れの中でしかるべき立ち現れ方をしているだけなので、こんなにも自然を破壊したことにそこまで負い目を感じる必要はないと思う。ただ、今持っている力をちゃんと自覚しておいた方がいい。そうしておいて、「自分はデカい鹿だとかめずらしい昆虫だとかが愛おしいから死んでほしくないんだ」みたいに正直に主張した方がよっぽど素直で好感が持てる。動物の生きる権利とかより先に、そっちが先行するべきだ。いくら森林伐採をしても、宇宙から見ればまだ地球のガワの部分は十分に美しいんですよ。あとはリフォームの範疇だ。
このプラネタリウムというアルバムはNeptuneから始まる。17曲あるのは水金地火木を大幅に数え間違えたのではなく、太陽系の惑星のほかにハレー彗星とかブラックホールとかの間奏曲が入ってるからだ。
宇宙の音を聞いたことはありますか?去年のハロウィン、つまりちょうど一年前にNASAがサウンドクラウドにいくつかの音源を公開して宇宙ファンの間でちょっとした話題になった。
これは前述したネット記事のいやなタイトルのつけかたの例ではあるが、内容は一番しっかりしていたので仕方なく選んだ。「ネットの声を紹介」なんていうコーナーは世の中で屈指の胡散臭いデータの取り方でそれも好きじゃないんですけど。インターネットにはすべての意見が載っているので、そんな恣意の場所で匿名の意見を借りるなら自分のものとして紹介した方がよほど素直でいい。
このアルバムもNASAの宇宙音みたいな独特の音遣いをしていてとても気持ちいいし、まずコンセプトをさ、エモ・オタクは好きだよね。ボカロPのout of survice(今はout of serviceという名前でやっている)も同じように2013年(つまりスフィアンより前ですね)に「PLANET8」という惑星と七つの大罪をモチーフにした同人アルバムを出していて、私は結構ハマってたので一枚持っている。
ちなみに1stアルバムは誰かに借りパクされてしまった。
この「Planetarium」は上の単体で曲として成立しているPLANET8とは違ってわりと音を楽しむアルバムなので通学とかには向いていないが、夜長にレポートのお供にかけているとまあ情緒掻き立てられることこのうえない。宇宙のことを見ていると不安になりますよね。それを音で現している。アートだ。
明け方に聴ききった時、あたかも一時間半の宇宙旅行から帰ってきたかのような脱力感と達成感とセンチメントに襲われて、かならず変な夢を見る。
粋だなあと思うのがアルバムの順番で、地球は最後から二番目なのね。で「死の淵から地球の美しさが分かる なんておろかだったんだろう ハレルヤ」みたいな荘厳で苦しく物悲しい曲なのに、最後の曲Mercuryは明るくて、次への旅立ちを予感させる。私はこういうのが好きだよ。
これは土星。映像もあわせて不安になってみてほしい。
さて、お判りの通り私はいくらでも文章を書いていられる人間なので、これからもこういう風に話をあっちやらこっちやらに飛ばしながらアウトプットに励もうと思う。読みたい人は読んでください。あと私は紹介した作品について読者に観て・聴いてほしいと思って書いているわけではない。作品と出会うには適切な時期というものがあって、人に勧められたところでその時期がその場で簡単に訪れるものではないから、そういえば誰かがあれいいよっつってたな~くらいのつもりである日興味がわいたり直感を持ったりしたときにコンテンツに触れるのが一番正しい在り方だ。でも知らないことには始まらない。私の紹介をありがたがるフォロワーがいるという驕りは持っていないが、私はつとめて人と違うコンテンツを摂取するのが好きで、でもそれを人と共有したいというめんどくささも持っているので、このような形になっただけだ。高校同期たちみたいに趣味アカウントを分けることも考えたけど、私は同じ話を何回もしたいので、見に来ないと見えないところでやるのはいいことだ。知っておいて、いつか出会いたくなったら見てみてね。
「その映画私も見たよ、あのシーン好き」とか「紹介してたアレ聞いてみたけどいいね!」「〇〇も聴いてよ」みたいなのがあったら嬉しいです。いつでも教えてください。
なお『君の名前で僕を呼んで』については今回内容には言及できなかったが「”Call me by your name” という行為の意味についての言語学的考察」っていう私の誰にも見せていないレポートがあるのでいつか書き出そうと思います。
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