葬儀ディレクターの仕事を選んで感じたこと
葬儀担当者として、現場でずっと故人様、ご遺族と向き合って参りました。18歳からこの業界に身を置き、この業界に今でも関わり続けているということは、やはりこの仕事自体に対して誇りに思っているからであると思います。
一方、この業界に関わっていない人にとっては、この仕事はなかなか理解できないものもであると感じております
葬儀の仕事は「悲しいことばかり」なのか?
葬儀の現場は「故人と家族などのご縁があった方との最後のお別れの場」です。
故に、毎日他人とはいえ悲しい場に立ち会って苦しくないかともよく言われました。
悲しくないといえば「うそ」になります。やはり故人様とご家族の最後のお別れをほぼ毎日、何十年も見て参りましたが、やはりお葬式は悲しい場であることに変わりはありません。
しかし、悲しい場であると同時に「明日へ進むための場」であることも忘れてはいけません。区切りをつけ、進んでいくためにはどうしても「お葬式」という場は必要なのです。
支えになっている「言葉」
18歳の時、大阪に本社のある最大手の葬儀会社:株式会社公益社にお世話になりました。
当時お世話になった先輩方に「葬儀は悲しい場であるが、こちらがめそめそしているとご遺族が不安になる」「ご遺族をご案内し、無事に葬儀を終わらせることがこの仕事に関わるものの務め」と教わりました。
これは今でも私の心の中に残り、現在でも葬儀や終活の相談を受けている自分自身にとって、基礎となっている言葉です。
葬儀ディレクターという仕事
悲しみに暮れるご家族を支える葬儀「葬儀ディレクター」という仕事は、なくてはならない仕事であると感じております。
どれだけ葬儀業界がAI・DXが進んでも、この葬儀ディレクターの役割は欠かせない存在と私は考えております。
なぜならどんな人でも「大切な人を亡くしたご遺族、ご家族は冷静ではいられないから」です。
1,000人以上の方の葬儀に関わっても葬儀は「慣れない」
私も父方・母方の祖父を亡くした際、やはり平常心ではいられず、どこか「フワフワ」した状態になっていたと記憶しています。
何十年も葬儀業界に関わり、短期間の間に多くの方のお見送りを行ってきたため、身内で不幸が起こっても冷静でいられると思っておりましたが「全くそんなことはありませんでした」
やはり身内が亡くなるということはそれだけ精神的に「負荷」が掛かるものであると、身内を亡くして初めてしっかりと感じました。
普段案内を行っている側が「案内をされる側」になっただけで、こんなにも思考が止まるものなのかと感じたことは今でも覚えています。
遺族は故人とのお別れの時間が少ない
遺族側は意外と「故人とのお別れの時間を作ることができません」
ご親族や近所の方、今まで故人とご縁のあった方などへの御礼ご挨拶、葬儀ディレクターとの打ち合わせ、宗教者との打ち合わせ、親族の人数の確認(火葬場への同行・精進落としの参加人数など)が続きます。
ご遺族は単純に「忙しい」
だからこそ、事前の葬儀相談や葬儀後の相談はこれからさらに重要になると感じております。
30年以上前は近所の方、親戚、宗教者の方が積極的に助言やサポートを行い「地域」で葬儀を出すという時代がありました。
しかし時代はもう変わり、都市部を中心にこれらの考えは無くなりつつあり「自身や身内の葬儀は自分自身で選択して行う」という考えに意向しております。
忙しくしている間にあっという間にお葬式が終わっていると感じる人が多く、葬儀が終わった後に体調を崩す方も多くいらっしゃいます。
終活に関わる仕事の重要性
葬儀が終わった後でも、葬儀後の手続きや遺品整理、不動産の処分、葬儀後に続く法事や位牌、納骨の手配など、多くのことが続いて参ります。
これらのサポートを行うのが「葬儀ディレクター」や自身が現在行っている「葬儀終活アドバイザー」の仕事であると、私は考えております。
「葬儀のことだけアドバイスを行い時代は終わっている」と私は思います。
今後、終活に関わる仕事の重要性はますます上がっていきます。
その中で自分自身がご相談を頂ける方に何を提供できるのか、これからも真剣に考えていきたいです。