【ココロザシPROJECT】|MOTHERHOUSE関西エリアマネージャー 森涼湖さん①
#インタビュー #熱く働く#ココロザシプロジェクト
インタビューを通して志を持って働く人の内側に迫る企画【ココロザシPROJECT】
今回は『途上国から世界に通用するブランドをつくる』を哲学にかかげ、バングラデシュを中心とする世界6ヶ国の途上国でプロダクトを生産し、日本を含む4ヶ国の先進国で販売を行うMOTHERHOUSE関西エリアマネージャーの森涼湖(もりりょうこ)さんにお話を伺ってきました。
どうも、こんにちは!
本日もご覧いただきありがとうございます。
FUNCREA(ファンクレア)というカスタムオーダーのお洋服ブランドを立ち上げ準備中のPAKU FANGI(パク ファンギ)と申します。
Instagramにアップしていたインタビュー企画を、フィールドをnoteに移し今後は展開していきます。
誰かの役に立つには
自分に武器が無ければ何も出来ない
施しではなくビジネスで途上国の現状を変える。
誰かの、世界の不平等をなくしたいと、熱い思いを持った人が集まり働いているMOTHERHOUSEの関西エリアをまとめ上げる森さんの、内側に秘めた想いとは何なのか。
1,MOTHERHOUSEで働き始めるまでの経緯
FUNCREA(以下「F」)では早速ですが、森さんがMOTHERHOUSEに参加されるまでの経緯を教えていただけますか?
MORIさん(以下「M」)元々大学時代に国際関係学を学んでいて、今も一緒に働いている友人から「裸でも生きる」(マザーハウスの代表兼デザイナーの山口絵里子氏の最初の著書)を勧められて読んだのがキッカケだったんですが、読んだ時の印象は『悔しい』でした。
F それは何故ですか?
M 私がやりたかったことってこういうことだなって。それをすでに1人でやってらっしゃるのも凄いなって思ったし、なんか悔しいなって思って。。。自分でも将来途上国でビジネスが出来たらいいなって思っていたんですけど、当時(MOTHERHOUSEが)新卒採用をしていなかったので、自分が経験を積んでいつかご縁があればMOTHERHOUSEに参加したい、とは思っていました。
F なるほど。ではどのように就活されたんですか?
M 就活生だった当時に東日本大震災があって、スケジュールもぐちゃぐちゃになってしまって、そんな中で(面接や試験を)受ける意欲もだんだんなくなっていき、ことごとく面接に落ちていたそんな時に山崎亮さんの「コミュニケーションデザイン」という本に出会ったんです。
F それはどんな内容なんですか?
M いわゆる町づくりなんですが、(建物を建てたりする)ハード面ではなくて、その地域の人たちが地域の課題を自分たち自身で解決していくっていうソフト面での手法で町づくりをされている事務所で。
私学生時代はずーっと海外ばっかりに興味があったので、そういえば日本で起こっている課題って知らないなって思って「働かせてください」って山崎さんが運営されているstudio−Lに手紙を出したんです。
F えっ?!直談判ですか???
M はい。笑。そうしたら「インターンだったらやってますよ。」って事務所の人から連絡をもらったので、当時地域に根付きながら三重県での町づくりを立ち上げるタイミングだったので、住み込みで一年経験を積ませてもらいました。
F そうだったんですね。でも1年もインターンって大変じゃなかったですか??
M はい。笑
インターンって無給じゃないですか。私大学も卒業しちゃっていたし、将来に対して覚悟はしたけど不安が大きすぎて、その立場と環境から不安が不満になっていって、、、。目の前の仕事も100%でやり切って期待を超えられていたかっていうと実際自分は全然何も出来ていなかったんです。
F 辛い状況ですね。。。
M 周りはみんな大手を辞めて集まってきたスペシャリストな人たちばかりで、それに比べて自分はイラストレーターさえ使えない、何も出来ないっていう壁にぶち当たって、『人の役に立とうと思ったら自分が何か武器を持っていないと何も出来ないんだな』と思い知った経験でした。
アイデアで変化を起こして去っていくのが「風の人」、国連や国際機関のように資金を援助するのが「水の人」なら、私は一緒に根付いて泥臭くやっていく「土」のやり方が自分には向いているなと思ったのもこの時の経験からでした。
F とても面白い視点ですね。
M そうですね。1年経験を積んだ時もう一度自分が何をしたいのかを考え直そうと思ってstudio-Lを辞めたんですが、そのあと3ヶ月くらい燃え尽き症候群になってしまって、しばらくはニートをしていました。笑
M 丁度その時期に「そういえばMOTHERHOUSEに行きたいと思ってたなぁ」って思い出して、お店に行ってみたらやっぱり素敵なお店で人も素敵で、ここで自分のエネルギー高めてやりたいなと思ったんですけど、そのまま飛び込んだらまた何の武器もないままの自分に苦しむだろうなと思ったんで、
今後MOTHERHOUSEが成長していく上で使える人間になってから行こうと思って、当時まだ百貨店にお店がなかったので、いつか百貨店に出店する時に役に立つように百貨店営業を学べる肌着メーカーに就職して二年間営業として働きました。
F まだ就職もしていない会社の先のヴィジョンを予め描いた上で就職先選んだんですか?!?!凄すぎます。。。
M いやいや、、、。そんなことないです。笑
M メンズ肌着の営業だったのでステテコとかふんどしとかを取り扱っていたんですけど。。。
F 全然自分に関係のない商品ですね。笑
M そうなんです。笑笑
その時はまだMOTHERHOUSEに入れるかどうかもわからなったんですけど、今いる場所で自分ができることって何かな?って考えた時に「販売員さんが私が担当だったらより働きやすくなるように」とか自分なりに目標立てて目的見つけて仕事をしていました。
F 今の世の中が求める人材そのものですね!
M いやいや。笑。
肌着メーカーで働いて2年経った頃にMOTHERHOUSE初めての関西での採用説明会があって、これはチャンスかもしれないなと思って受けたら採用されたのが、入るまでの経緯になります。
②に続く。
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