桃季を生み出せ 桃季を惜しみなく分かち合え🍑🍐‼️
1.はじめに(成蹊を思い出した)
登録した、pando というサービスを久々に見直しておりました。そしたら遥か昔の(と言えどもたった半年前くらいではありますが)私はこんなことをマインドとして書いていました。
私のpandoプロフィールです
https://pando.life/@funayoshi44
紛れなく自分の言葉。「桃李不言 下自成蹊」というのは自分の中学、高校の見学の理念でもあり、名前にもなっているような古事成語です🖋
ですが、私はこの言葉を長らくとても嫌っていました💦
2.成蹊とは?(意味となぜ嫌いか?)
この言葉の意味は私の中高のホームページをご覧いただけたらと思います。
https://www.seikei.ac.jp/jsh/schoolguide/origin.html
桃や李(すもも)は何も言わないけれど、美しい花を咲かせ、おいしい果実を実らせ、それにひかれて人が集まり、樹木の下には自然と蹊(道)ができる。桃や李は、人格ある人のたとえで、徳のある人には、その徳を慕って人々が集まってくる。
何故嫌いだったか?というと、私はこのような人格を持てていなかったからです。特に自分に魅力もなく、人徳もなく、そして周りを見渡せば素敵で優秀な人など幾らでもいる環境でした。友達もお金持ちでキラキラしていて行動力もあって、、、という点でとても劣等感を感じたし、だからこそそれに惹かれて桃や季を取りに行くような人間(迎合したり、擦り寄ったり)にもなりたくないなと思っていました😭
誰とも関わることがなくても自分は自分として自己規定的な価値を持てる人間でありたかったのでこの言葉はとても嫌いな言葉でした😿
3.気持ちの変化(自分の成長)
大学に入ってからこの成蹊という言葉を目にしたり耳にしたりすることは減ったのでとても楽でしたが、不思議と今年は成蹊学園で学び時を過ごした意味を考えるようになりました🤔
成蹊で過ごすことができたからこそ得れた思い出や考え方があること(具体的には幅広い物事を見て、本質を考えようとする姿勢などは成蹊教育の賜物だと考えています。)や逆に経験しなくてよかった事柄(成績の競争や問題演習中心の詰め込みな授業など)があることを知るうちに、自分の人生の中で成蹊という言葉に向き合った時期を再評価することができたのだと思います⭕️
大学に入ってから、様々なことがありましたが、自分が持てる技術や時間に関してお願いされたり頼まれたりしたら基本はYESと答えるようにしていました。
俗にいうとイエスマンですよね‼️
何故か?といえばお願い事は試され事だと思うようになりました✍️
逆の立場で考えると人に何かを頼む時は少なからず期待をして、勇気を持って依頼したり話を持ちかけます。その想いを無碍にしたくはないし、僕なんかに出来ることであれば、できる範囲で力💪になれないかもしれないけれど、してみたいという気持ちになっていました。
以前はとても自分本位で自分が楽しいかどうかで行動を決定したり、依頼されたことを引き受けたりしていました。ですが、イエスマンになったことによって新たな挑戦をたくさんできたし、様々な知らない世界へ足を踏み入れ得たものは数えきれません✨
そういった行動指針で動く中で桃李不言下自成蹊という言葉に抱くイメージも変わってきました♪
そもそも成した桃や季を人に分かち合わなければ人はやって来ない。
輝いて見えた中高の同級生も最初は小さな自らの成した実を周りの他者に分け与える事から始まっているのではないでしょうか❓
最初は小さな実🍒でも、分かち合えることのできる実🍋は積極的に共有をすることで、他者は集まって来てくるし場合によっては自らも桃や季以外の実🍎を得たり、自らの成長になりより良い果実🍍を実らすことができるようになるはずである。
全ては自ら持てる小さな果実🍓(それはスキルだったり経験だったり今すぐに出来ることだけではなく、単純に想いだったり時間だったり小さな一歩からであると思う)を人とシェアし、誰かのためにどう自らの実🍏を役に立てるかを考えるところからではないか?
どんな立派な実🥝であっても誰かに食べてもらわなければただ朽ちるだけのものであるし、自らの種も広がらないであろう。逆にどんな小さな見窄らしい実🍇であっても堂々と他者に共有することで意味があったり遠くまで種を届かせることができる。
イエスマンでいることは一見他者の言いなりになったり、ボランティア精神のみの損をするような利他でしかない行為に見える。
こう考えると、与えられる実🍊を惜しみなく他者に差し出すことは究極的には自らの実を更に磨く利己的な行動である。
4.まとめ(桃季を生み出せ、分かち合え)
ということで私はイエスマンでいるし、おしみもなく今の自分が実らせているであろう小さな桃🍑や季🍐を惜しみなく分かち合いたい。
そして、多くの人にとって美味しく魅力的な実になれるように桃🍑や季🍐を大きく魅力的でとても甘いものにしたい。
求められるから成長するという力も大きいはずだ。
初めは小さな木で小さな実🍈で小さな道かもしれない。でもそれで良い。
実🍉を分かち合う中で自らも成長しよう。
桃李不言下自成蹊とは、そういった小さな実🍐を惜しみなく分かち合うことに対してそっと勇気を与えてくれるそんな素敵な言葉ではないか?
これからもっと実🍑を磨いてそんな蹊を成せる大樹🌲になりたいものだ。
5.おまけ(とある電磁砲より)
実はこの言葉、とある人気アニメに使われた。とても嬉しかった。
(出典:公式ホームページより)
「(病室の婚后光子)…はい?…御坂さん!」
「(病室に入る御坂美琴)…」
「…まあ、妹さん、息災でしたか。何よりですわ」
「あ…」
「どうかされました?」
「ごめん!」
「えっ?」
「こんな事に、巻き込んで!怪我までさせて…謝って、すむことじゃないけど…」
「い、いえ、わたくしのほうこそ。妹さんを連れ帰ると、大言壮語してこの有様ですから…情けないですわ」
「でも、もっと非道い目に、あってたかもって…」
「…そうですわね」
「…!?」
「ですが!例えそうなったとしても、わたくしは自らの行いを悔いることはなかったと、請け合えますわ」
「婚后さん…」
「わたくしはまだ人間が練れていませんので、誰のためにも我が身をなげうつ訳ではありません。御坂さんの苦悩を払えればと、わたくし自身が望んだから、そのように思えるのです」
「…」
「…桃李成蹊という言葉をご存知ですか?」
「えっ?」
「「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」徳のある人は、多くを語らずとも自然と人を集め、それが道をつくる。そんな言葉だそうですわ」
「…」
「わたくしもまだほんとうの意味で理解できているとは言えませんが、御坂さんの人柄を慕ったことで、わたくしは人を思い遣れる人間になれたのではないかと、そう思うのです」
「私…そんな立派な人間じゃない」
「それは周りが決めることですわ。逆に自分を立派に見せようとしたところで、周りが認めなければ意味がありません。わたくしはそれで、ずっと独り空回りしてましたから」
「そんなことないよ!」
「…?」
「婚后さんは私にとっても、湾内さんや泡浮さんにとっても、その…」
「湾内さんや泡浮さん?どうして今、そのお2人のことが?」
「…あのね、婚后さんを助けたのは…」
「…そう、でしたか。あのお2人が、そんな事を…ど、どうしましょう、御坂さん」
「…?」
「お2人を荒事に巻き込むなど、申し訳ないと感じなければいけないはずなのに…わたくし、嬉しい気持ちが止まらないのです」
「…」
「(看護師)すみません。そろそろ面会時間、終了ですので」
「あ、はい。また明日来るね、婚后さん」
「はい…御坂さん!」
「…?」
「わたくし…常盤台の一員で、ほんとうに良かったです」
「うん」
とてもカッコ良かったしいい話でした!
(とある科学の超電磁砲T14話より)
以上おまけでした〜
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