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偽りの凱旋
「・・・奥州白石の城下から南へ一里半のあたりに高福寺という寺がある。荒れ果てたこの寺の中に、小さな堂がある。その小堂の中に、女の人が甲冑を着て、長刀を持って立っている木像が二つ安置されている・・・」
と「東遊記」に記されています。
現在、宮城県白石市の高福寺の跡に田村神社があり、境内にその像を納めた甲冑堂が建てられています。
それらは平安時代末期の佐藤継信・忠信兄弟の妻たちの像です。
継信・忠信兄弟は奥州藤原氏の家臣でした。
平泉に匿われていた源義経は、兄の頼朝が挙兵したと聞くと直ちに坂東に出陣しましたが、その際に佐藤兄弟も従軍して源平合戦に参加しました。
しかし、継信は屋島の合戦で討ち死に、忠信のほうも義経の失脚後、吉野山に逃れて、さらに京都に隠れましたが、遂に自刃しました。
二人の息子を失った老母の嘆きは尋常ではなく、毎日泣き暮らしていました。
見かねた継信の妻・若桜と忠信の妻・楓は、何とか老母を慰めようと相談しました。
そして、それぞれ夫の甲冑を着て、長刀を小脇にはさみ、
「母上! 継信、忠信、ただいま帰りました」
と勇まし気に老母の前に立ちました。
老母は、二人の優しい思い遣りに泣いて喜んだと言います。
その話を聞いた人々が、二人の妻の孝心に感動して、その姿を木像に刻んで残したのです。
これと同じ伝説は福島市の飯坂温泉の医王寺にもあり、本堂脇の小部屋に二人の嫁の等身大の人形が飾られています。
松尾芭蕉が「奥の細道」で、佐藤一族の旧跡を訪ねたというのもこの寺で、「奥の細道」の一節に、
「また、かたわらの古寺(医王寺)に(佐藤)一家の石碑を残す。中にもふたりの嫁がしるし、まずあわれなり。女なれどもかいがいしき名の世に聞こえつるものかなと、袂を濡らしぬ」
とあります。
芭蕉もまた、この孝女たちの話に心を打たれたのでしょう。
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