とーさんと、ワンコ 思い出記録note
とーさんの相棒は、18年とちょっと、ワンコでした
合ってるよね、とーさん。
わたしはムスメだけど、会社入って、離れて暮らしていたこともあるし、時々しか実家に帰らなかったし、帰ってもご飯一緒に食べるくらいで。
朝の散歩の時間を考えると、一番長く一緒の時間を過ごしていたのは、ワンですよね
だから、わたしからみて、とーさんとワン。ふたりは、相棒。
ワンは、甲斐犬。中型犬だけど、割とがっしりした男の子。もちろん名前はワンではありませんが、まぁ、ここではワンにしておきます
田舎から貰い受けたワン。甲斐犬という犬種をその時初めて知ったのに、(実際に会うまで、柴犬がいるから〜と聞いていた)すごく気に入っていました
散歩で会う人会う人に、
「甲斐の国の犬なんですよぉ〜血統書ついてるんですよぉ〜」
とニコニコ笑って自慢して、その溺愛ぶりが恥ずかしかったです
ワンの散歩を、いつの間にか日課にしたとーさん
ワンのおかげで、人との出会いがあり、つながりがあり
割と本格的に畑をはじめられたのも、元を辿れば
ワンと、コミュ力おばけのとーさんのおかげです
とーさんとワンは、相思相愛でした
ワンにとって、とーさんはご主人で、相棒で、大好きな存在。
写真を撮るとき、とーさんはバックハグする形でワンを抱えます
ワンは嬉しくて、尻尾をブォンブォン振りながら、上を向いてとーさんの顎をベロベロ舐めてました
ツーショット写真はいつも、とーさんとわん、ふたりの最高の表情
ふたりともこんなに笑えるのかい、とジェラシーです
散歩で歩いている時は、割とスン・・なカオなのに。ふたりとも。
とーさんの病がわかった後、ワンとハグすることがおすすめできなくなって、心苦しかったです
「ワンをなでたら、手を洗ってね」
退院して、目尻が垂れ下がった優しい顔をしてワンに近づくとーさんに、わたしは声をかけていました。抗がん剤のお世話になっているので言った言葉ですが、ワンも家族なのに、なんだか、文章にすると、ざわざわした気持ちになる言葉を、言ってしまってました
とーさんは、全身でハグするのを思いとどめて、そっと、ワンの頭を撫でるようになりました
入院中、ワンの写真を差し入れていました
看護師さんにも、見せたらしく、ワンが、とーさんの励みになっていました
コロナ禍でのビデオ通話で、とーさんに相棒のワンの様子を見てもらいたくて登場させたら、病院側のスクリーン画面外、お隣で機械操作をしてくれてたスタッフさんに、「黒くてカッコいいですね」と言われたらしく、一時退院した時に得意げに語っていました
最初の入院から1年ほど後。思えば、とーさんの闘病期間とほぼ同じ時期に、ワンは犬の中では超高齢になっていました
18歳。とーさんとは同じ歳くらいか、ワンの方が年上。
ワンがそこまで生きてたのも、とーさんとの時間があったからだと思います
「オレとどっちが先かなぁー」
笑ってそんなことを言っていました
「オレが先がいいなぁ…」
結局、ワンは、とーさんのその言葉を叶えませんでした
でも、とーさんに田舎に行く機会を与えてくれました
故郷に顔を出したいとーさん。しかし、
体力低下中のとーさんをひとりで出掛けさせる訳にはいかず
介護状態のワンを家に置いて出掛けることもできず
夜中に騒いじゃう老犬ワンを何処かに預けることも、片道4時間車に乗せて連れて行くわけにもいかない
その状態を、悟られてしまったのかもしれません
闘病中、お風呂上がり、パジャマを着たとーさんが、寝転んだワンの隣に座って、遠慮がちにワンの頭をナデナデしていた姿を思い出します
「大好きだよぉ」「大好きなんだぁ」
ゆっくりと、本当に愛おしそうに
ハグは、いつの間にか、やらなくなっていました
ワンの脚も弱く、立つことができなくなっていきました
その代わりか
ふたりで、よくお昼寝をしていました
畳の部屋で、時には向かい合わせで、時にはランダムに
近すぎず、遠すぎず
あの時間が、もっと続けばよかったのに
ふたりの時間は、ゆっくりと流れていました
ふたりは、同じ年に、旅立ちました
仲良すぎでしょう
遺されるほうは、なんだかどうしようもありません
とーさんと、ワンがいたから、たくさん笑顔になれました