諦める力
諦めるの語源は「明らかにする」という意味もあり、現状を正しく認識し可能/不可能を判断することである。
→ 7つの習慣の「最優先事項を優先する」と同じで、殆どのことは目標を叶えるための代替可能な手段であると捉える。
そしてその目標も、それが手段となるような上位目標が存在するため、勝てないフィールドでいつまでも戦うことは賢明とは言えない。
手段を諦めることと目標を諦めることの違いを理解する必要がある。
多くの人が目指す場所は一見華やかであるが、それは大きなパイを多くの人で分け合っていることと同じ。上位1%以内に入るのは困難を極める。
苦しい場所で戦うより、手段を変えて好きなことや得意なことで勝負する方が、人生の幸福度は高い可能性もある。
ここで気をつけたいのは、「大した努力もせずに移動ばかり繰り返すのは単なる逃げである」ということ。
頑張っていれば報われるという幻想。
→ 自分が払ってきた代償を捨てられずに、「サンクコストの呪縛」状態に陥っている可能性が高い。
道は一つでは無いが、一つしか選べない。何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい。
目指す高さによって最初から戦い方が変わってくるため、なりたい自分を明確にする必要がある。
→ 人は環境に染まる。天才を除き普通の人がトップを目指すなら、自分にとってすごいことを普通にやっている集団に身を置くことでレベルが底上げされる。
全力で挑戦することで自分の限界(目標)を把握できる。
失敗することを恐れて全力を避けてきた人は自分の能力の範囲に対してのセンスを欠くことが多く、それこそが一番のリスク(失敗)である。
周りの言葉を気にしすぎないことは重要。目標の延長線上にいる人は的確なアドバイスをしてくれる可能性もあるが、それ以外の人は知識もなく感情や世論を押し付けている可能性が高い。
海外に比べて日本人は諦める/逃げる/やめるということに関してネガティブな人が多い。価値観が偏った集団の話ばかり聞くと、それがあたかも常識に感じる(単純接触効果)。
諦めなかったから成功したという人の裏には、夥しい数の敗者がいることを忘れてはならない。成長と成功は別物である。
仮に諦めることを指摘されたら「あなたは僕がやめずに続けたとして、どのくらいまで行くと思いますか」と聞き、その答えが具体的で根拠のあるものなら一考の価値がある。
目標には必ず期限を設けること。そしてその期限を必ず守ることが重要。
→ 期限を守らないことには一種の快楽がある。自分の決断で期限を変更している気になっているだけで、実際は決断できない状態が延々と続いているだけ。
「測定できないものは管理できない。」
→ 測るとは勝利条件の設定である。勝ちの定義が決まって初めて戦略が生まれる。
諦めろと言っている人は、過去に諦めた自分を鑑みて嫉妬から言っているのか、客観的に勝ち目がないと言ってくれているのか見極める必要がある。
自分の幸せを定義する。他人由来の幸せは移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになる。そして未来の幸福は届いた瞬間に慣れてしまう。幸福は外や先にはなく、今ここにある。
諦めることと妥協することを決めて、何を優先したいかを自覚することが重要。
挑戦する際は期待値を低くすることが重要。ゴールを他人から与えられるモノに置くと、そのために努力するようになる。
今している挑戦の中に自分なりの面白さを見つけることで「努力と成功の取り引き」が無くなる。他人から見れば努力なことを娯楽化してしまえば最強。
諦めるのスケールを小さくして、モノを捨てたり整理するとしがらみが減って逆に選択肢が広がる。
物を沢山持つという幸せは現在は当てはまらない。やらなくてはいけないことを減らすことを意識する。
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