とりあえず、書いてみる。をやってみる。

 中華圏では一年で一番おめでたい旧正月。昨年後半からずっと続いていた民主化を求めるデモ隊と警察との衝突もさすがに少し静かになり、年末ムードでただでさえみんな浮足立っていたのに、さらにそわそわ。そして、旧正月の連休中に一気にコロナとの戦いに突入。

 それから早くも4か月が過ぎた。振り返れば自分自身のこれに対する姿勢であったり、感情の起伏であったり、生活の変化であったり、自分の考えも思いも日々変わっていく。急に突き付けられた外出自粛とひとり生活の日々。もともとひとり暮らしだし、特段変わることなく、外からの刺激を必要以上に受けずに内省に勤しむことのできる時間は、前向きモードの自分であるときは、むしろありがたいとすら感じて過ごしてきた。前提として、いつもと変わらずに平日は定時で出勤し、いつもの同僚たちと顔を合わせ、仕事をし、ランチを食べ、まっすぐ家に帰って、また食べて、少し体を動かし本を読み、寝る、というルーティンがあるからこそ、ある程度心の平静を保つことができていると思う。

 それでもここにきて、いわゆる「コロナ疲れ」なのだろうか。妙に塞ぐ気持ちに気がついてしまい。職場でも同僚との会話をなんとなく避ける。スマホのなんともない友達とのメッセージのやり取りもとっても億劫に感じるように。体も心も最低限のルーティンをこなすだけのエネルギー消費で抑えようと省エネモードに慣れてしまったせいか?ぐるぐる自分の中で渦を巻いてきた考え、思い、気づき。これまでの自分、今の自分、これからの自分について、とりとめもなく頭の中を巡っているものを、言葉にして外にだしてしまわないと、なんだか容量がいっぱいになってきてしまったようだ。

 ここのところ、いやもう一年ほど前からなんども背中を押してくれたミニマリストたちの発信が、また私にきっかけをくれたのだ。やってみたらいい、と。自分の思っていること、考えていること。それが誰かの役に立つとか、誰かに影響を与えるとか、そんなの分からない。そんなことを考える必要もない。自分がやりたいと思ったならとりあえずやってみたらいいと。

 去年のお正月に自炊をはじめ、それまでの不摂生極まりない食生活をあらため、ずぼらでもできる食事作りをするようになり、「ずぼら=>ミニマリスト」へ導かれていった。この流れは自分でちゃんといちど振り返っておきたいと思っている。気になった本を次々読み、ミニマリストのYoutube発信をBGMにものを捨て始め、部屋を片付けていくにつれて、心が軽くなっていく感覚に。昨年夏以降、週末の度に交通機関の麻痺やショッピングモールの閉鎖があり、不用意に巻き込まれることを避けるために外出を自粛して、StayHomeな生活は実はもうその頃から、始まっていた。部屋がすっきりしてくると当然居心地がよくなり、家での時間がますます好きになっていく。そうこうして迎えたこのコロナ禍。居心地のいい空間を自分で整えられるようになったこと。地味ならがも日常を生き延びるために、自分で自分の食べるものはこしらえることができるようになっている。自炊も片付けも、そして、そういえば苦手だった読書も、去年一年を掛けて少しずつできるようになってきたものだった。

 そうか、そういうことだったのか。自炊も片付けも、ある意味、この時のためのある種の修行だったんだなあ、と思うことができる。

 なにも、「丁寧な暮らし」や「お料理大好き」をアピールしたいわけではなく、自分自身の生活の変化と、今の自分と、これからの自分を見つめたいから、とりあえず、書いてみることにする。

 今日を生き延びる自分のために、食べる。明日を生き延びる自分のために、片付ける。そう思えるようになった自分自身のことを。


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