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日日と魂に:子育てや疾患についての走り書き_17

2024/10/17
娘まもなく2歳の通う保育園の参観日。
一年に2度開かれるうち2回目の参観日で、1度目は父(私)の適応障害の症状が芳しくなく参加を断念しており、大黒様(妻)のみ娘の頑張る姿を見に行ってくれた。その会は親同士の自己紹介タイムなんかもあったようで、大黒様曰く「あんた来てたら発作起きてた」。
半年前のことだが、なんだか悔しい思いをしたものだった。娘は覚えていないと思うが、仮に、2回も来てくれなかったという記憶が悲しみとともに少しでも脳裏に刻まれてしまったらと想像すると気が気でない。心の成長を阻害したらどうしようの不安の嵐が起こり、何日かひとり布団の中でプチパニック状態に。見かねたもう一人の自分が「さっさと行け」コールを寄越す。行くしかあるまい。大黒様には無理するなと忠告を受けているが、行くしかあるまい。
当日。保育園近くのパーキングに車を停めて家族全員で登園。珍しい事態に一瞬そわそわしたように見えた娘は、門をくぐってすぐ違和感をなくしたようだった。父のことなど意に介さず保育園の中へ突撃していく。こちらの頑張りが伝わってほしい、なんて虫のいい願いである。背中を見守る。大黒様が笑ってくれて救われる。
保育園の中は、オリンピックを模した室内大運動会とでも言えそうな、先生方渾身の巨大工作が部屋中に備えられ、スタンプラリーをしながらアトラクションをめぐる仕様となっていた。手作りでこんなに遊戯のための装置を用意出来るなんて、凄すぎる。父は素直に感嘆。顔見知りの先生たちに「あら〜家族揃ってようこそ、お父さんもおはようございます」ととびきりの笑顔で声をかけられる。硬直しながらも挨拶を返す。毎日朝から園児たちを相手に戦っている皆さん。面構えが違う。
娘は階段状のマットレスの上をひたすら往復で歩き続けるのだが、それはコース上の障害物の一つであるため、延々とそこに居られると子供たちが後ろに詰まっていく。それを気にせず行き返りし続けようとする娘。あわあわする父。鷹のような動きで娘を引き上げ規定のルートへ連れて行く大黒様。その機敏さに目を見張り、自分のとろさ、判断力の無さを嘆く。気合いを入れようと頬を叩いたら近くにいた若い先生に「どうしましたか?」と心配される。二十山家の父の病状はおそらく知っているのだろう。言葉にならない返事を置いてその場から去る父。情けない。
家では準備出来ない設備で、娘が心から笑って楽しそうに他の子供と交流している様子を見られたのは、本当に新鮮だった。さすがに泣いている親はいないので、それだけは腕を噛んででも我慢。
園児は上流家庭の子が多いという噂は聞いていた。案の定、ブランド物の服に身を包み、忙しそうにスマホでおそらく仕事の通話をしながら参加している親御さんが多いように見受けられた。1回目の参観日の親同士の自己紹介では職種を発表する人が多かったようで、そこにいたら自分は自分を何と紹介していたのだろうと想像したら少し笑えた。去勢をはって、嘘の一つでもかましたか。いやそこまで前向きには生きてないか。
しかしこれも社会復帰の訓練だ。娘に余計な迷惑はかけたくない。行かなければ後悔していただろう。帰宅したころには心身ともにぐったりしたが(大黒様が一番疲弊する立場)、妙な達成感があった。
後ほど園より送られた集合写真の写りには苦笑させられた。娘、大黒様と離れたところで一人だけマスクを着けて立つ太った長髪。周りに誰も寄っていない。ピースの一つでもすればよかったとパンクな精神に若干火がついた。

10/24
『もこ もこもこ』という有名な絵本を、娘が声に出して親に向けて読んでくれるようになった。これは初めてのこと。
娘に謝辞を述べ、トイレに隠れ無論落涙。子育ての日々は兎にも角にも魂が忙しい。

10/26
家族全員で郊外の巨大なショッピングモールへお出かけ。
大黒様にささやかな自由時間を贈るため、娘と本屋へ。絵本のコーナーを2人で回っているときに、同じく父娘で本屋に来たらしい別の親子とすれ違う。
うちの娘がその父娘近くの棚に留まったため、売り物の本を破らないように見守りながらなんとなくその2人の様子をうかがう。
向こうの娘は4〜5歳ぐらいだろうか。話し言葉はだいぶはっきりしている。子供用の椅子に座り、平積みされた本を吟味しながら父親にしきりに話しかけている。しかし、つばの長い黒キャップを被ったその父親は、スマホ片手にマジで適当な相槌を打ちつつ、娘の質問や発言をほぼ無視していると言ってよいような不遜な態度だった。
いくら何でもそれは娘さん寂しいんじゃないの、まあ仕事忙しければ仕方ないのか、いやでもさすがにその感じはさ、と血の気が引くような苛立ちを勝手に覚え、寂しげな娘さんを盗み見ながら心の中で感想を漏らしていたところ、ふとその父親の背後に同い年ぐらいの長い金髪をした細身の女性が立ち、熱心にスマホをスワイプする父親の後頭部付近から静かに冷たく、こう告げたのだった。
「なあ、預けた意味あんのか?それ」
一瞬で、この家族における妻と夫の主従関係が明確に印象付けられた。
その母親のあまりの迫力に、もはや自分が返事をしそうになってしまった。
絶対零度の言葉をかけられた父親は、男の最後のプライドなのか、全然ビビってないですよという顔をして返事をしなかったが、スマホを速攻でポケットにしまい「〜ちゃん、それ欲しいの?」と猫撫で声で娘に話しかけ始めていた。
もう我々親子がここに居てはいけない。頭の中で金髪母の言葉がリフレイン。娘の手を引き、逃げるようにその場を去って大黒様に合流し、すぐに事の顛末を伝えた。大黒様は涙が出るほど笑っていた。父は、最後まで上手に笑えなかった。

10/29
娘の迎えにいつも通り保育園へ。
娘、お友達に顔をペチンされたと、神妙な面持ちをした保育園の先生より報告あり。
顔面を確認すると、怪我はほとんどないが、左こめかみの辺りに多少赤みが生じていた。
父、我を忘れるほど怒り、どうすれば加害側を特定出来るんだと全く冷静になること叶わず。大黒様は華麗にスルー。見事な対応。
その後の車中はひたすら沈黙(冷静な大黒様に運転を変わってもらうべきだった)。帰宅後、薬飲むから先行ってと妻子を車から降ろし、自分は内服し気持ちを落ち着けるよう努め、15分ほど遅れて玄関の扉を開けた。
診断を受けて半年ほど経ったころから些細なことで怒りが増すようになった自覚があるが、これまでは数秒我慢する、深呼吸するなどアンガーマネジメントの実践で対応出来ていた。しかし、この日の怒りは自分のコントロールをぎりぎり超えるところだった。これ以上の対策は思い付かないが、家族に迷惑をかけないよう、常に感情のブレーキをかける他ない。過保護の精神が話の通じない毒親を作る理屈、分からなくもないと思ってしまった事実こそが一番恐ろしかった。自省のため、この日記に書き置くこととする。

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