見出し画像

箸墓古墳の実年代:歴博の炭素14年代測定による240~260年は根拠の間違いが明らかに

noteの初投稿は箸墓[はしはか]古墳の実年代についてです。

奈良県桜井市の纏向[まきむく]遺跡にある箸墓古墳は、魏志倭人伝に登場する卑弥呼の墓だと言われることがあります。

卑弥呼は239年に中国の魏に使いを送り、247年に魏からの使節を受け入れた頃に死んだことが書かれています。箸墓古墳が卑弥呼の墓なのであれば、3世紀中頃の古墳ということになります。

3世紀中頃の根拠として最も有名なのは、国立歴史民俗博物館の2009年の発表です。歴博は炭素14年代測定を基に「箸墓古墳の築造直後の年代は240~260年」と発表しました(2011年に論文発表)。箸墓古墳が240~260年ならば、卑弥呼の墓にぴったりだということで話題になりました。

 2011年論文「古墳出現期の炭素14年代測定」
※この論文はとてもわかりにくいので、今読むことはお勧めしません

歴博の根拠は炭素14年代測定という新しい手法でした。そのため古代史の研究者の間で意見が噴出しました。 

2022年になって、240~260年という推定年代はその前提となる根拠が間違いであることが、歴博の新しい論文によって明らかになりました。現段階では「箸墓古墳の年代は240~260年」とは特定できないことがわかったのです。 

※おことわり
この記事は新しい情報を加え、以下の記事(第3章)に統合しました。
(最終更新2024/1/13)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?