「茨城県に伝わる民話 第6回」(「西蓮寺ばあさん」「賀毘礼(かびれ)の峰」「石を枕に寝た親鸞」「天狗の相撲」「真弓山の寒水石」)
むかしむかし、今の茨城県行方市塔ケ崎の大きな屋敷に、50人の召使いと数十頭の馬を持つ長者が住んでいました。ある年のこと、八幡太郎義家が欧州征伐の途中、鹿島神宮参拝のため、霞ケ浦を渡っていましたが、高須崎(旧:茨城県玉造町)に吹き寄せられ助かりました。
義家は長者のいることを知り、多くの兵を連れてしばらくの間、厄介になることにしました。義家の兵は1万とも5万とも言われていました。
「奥州へ下る途中だが、しばし世話になりたい」
「さぞお疲れでしょう。どうぞごゆっくり、お休みください」
長者は快く受け入れて、出来るだけの接待をしました。やがて義家は、「長者殿大変世話になったな」と言って、奥州へ出発しました。
義家は「この豪族をこのまま生かしておいては、後々どんなことになるか分からない」と考え、奥州の帰り、塔ケ崎に立ち寄ることを決めていました。
「このたびは、奥州を打たれておめでとうございます。どうぞ、ごゆっくりなさってください」と、帰りに立ち寄った義家は、長者は喜んで迎えました。
長者は、前よりもましてたくさんのご馳走を整え、もてる物を出し切って接待しました。しかし、数日後、義家は帰ることになりましたが、長者の屋敷に火をつけて長者一族を皆殺しにしました。
幸いにも一人、長者の娘は助かりました。やがて娘は、滅びた塔ケ崎長者の菩提を弔うため、近くの曼殊院西蓮寺に身を寄せ、熱心に供養しました。やがて、長者の残した財宝で西蓮寺を修復しました。そして、比叡山から常行三昧会(じょうぎょうさんまいえ)の供養を迎え、村人の供養もし、西蓮寺ばあさんとして慕われました。
昔、立速男命(たちはやおのみこと)という神様が高天原から神峰山の西麓の松坂にある松の木におりてきました。この神様は大変厳しく、村の人々が神様に向かって大小便をしたりすると、災難が起こりました。
困った村人たちは常陸国の役所に訴えました。そして、都から片岡大連という役人が来ました。
「今、神様がおられる場所は人家に近く、神様がおられるのにはふさわしくありません。どうか、高い山の清浄な地にお移りください」
神様は、それを聞いてかびれの峰に移りました。この峰は現在の日立市入四間(いりしけん)にあり、今でも奇岩・奇石が多く、この石は神様の使った弓や鉾、容器などが変化したものだといいます。
山には樹齢500年と言われる三本杉があり、御岩神社の御神木になっています。木の途中から幹が3本にわかれていて、その三又のところに天狗が住み、下を通る人々を驚かしたと言います。
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