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「意外にも歴史的にはあまり知られていない事実「全国各地に領地があった一橋徳川家」

一橋徳川家とその領地分散の背景

一橋徳川家は、江戸幕府の中核を成す徳川将軍家の血統を支える重要な家系でした。御三卿のうち最も早く設立された家で、8代将軍徳川吉宗が長男・宗尹(むねただ)に将軍継承の候補資格を持たせるために設立しました。一橋徳川家に与えられた領地の構成には、幕府の意図が明確に反映されており、単なる土地の分配以上に深い意味がありました。


一橋家設立と領地の配置

延享3年(1746年)、一橋徳川家が創設される際に与えられた領地の総石高は約10万石とされました。これは当時の中堅大名に匹敵する規模であり、一橋家が御三卿として経済的・政治的に自立できる基盤を整えたものです。

領地の構成

以下に、一橋家に与えられた主な領地とその特性を詳しく示します:

  1. 和泉国(現在の大阪府南部)

    • 紀州藩(徳川吉宗の出身地)に近く、経済的な交流が活発な地域。

    • 日本最大の商業都市である大阪にも近接し、商業的に重要な拠点としての役割を持つ。

  2. 播磨国(現在の兵庫県南西部)

    • 西日本の農業生産地帯で、米や特産物を安定的に供給する基盤。

    • 交通の要所でもあり、瀬戸内海航路の管理にも影響する地域。

  3. 甲斐国(現在の山梨県)

    • 甲州金の産地として、経済的に非常に価値の高い地域。

    • 武田氏の旧領地であり、馬産業が盛んであった。

  4. 下総国(現在の千葉県北部・茨城県南部)

    • 江戸に近接し、農業生産が主力。江戸城への供給ルートとしても機能。

  5. 武蔵国(現在の東京都・埼玉県)

    • 江戸の中心地を含む地域で、一橋家の拠点運営に直結。

  6. 下野国(現在の栃木県)

    • 北関東に位置し、東国の防衛線や物資供給地として重要視された。


領地分散の戦略的意味

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