紙を食べるヤギのように育って
ネットの世界も好きだけど、私は紙媒体がやっぱり好きだなぁって話。という話をインターネット上でするという矛盾。
本を物として所有していないと、見たいと思う時にかぎって持ってない!となりがちなので、家には本が増えていく一方だ。ヤギ(って紙ほんとに食べるのかな)のように紙からいろんなことを吸収して生きてきたし、多分これからもそうする。時代には逆行しているかもしれないが……
本にはお金をかけてもいい、という教育
小さい頃、そこまで裕福じゃなかった私の家。服やおもちゃはあまり自由に買ってもらったことがない。
そんな中で、唯一、自由に選んでいいものが「本」だった。
母が読書好きで、子どもにも本好きになって欲しかったらしい。国語はいろんな教科の基礎になるし、なにより教養だから、と、図書館でも本屋さんでも自由に本を選ばせてくれた。
まず、母の徹底ぶりには驚く。0歳から図書館のカードを作り、月2回は通う。本を借りてくると、その日のうちに全部読んで、読み返しながら2週間後を待った。(おそらくだけど、単純に母が本を読みたかっただけって可能性も高い)
※ちなみに、弟にも同じ教育方針だったけど、弟は本が全然好きじゃなくて、絵ばかり描いていたからたまたま私の指向性にフィットしたんだろうと思う。
おすすめの本や自分の思い出の本は教えてくれるけど、いわゆる趣味の押し付けや対象年齢は気にせず、「自由に」好きな本を選ばせてくれた。その経験が、今の私の礎になっていると言っても過言ではない。
「何歳だからこの本はダメ」って言われたことはなくて、地雷、戦争、生理、偉人、本から偶然知ったこともあれば、調べるという行為も自然なことだった。
私のお気に入りで何度も読んでいた本たち。
本に囲まれた生活が果たして教養になっているかというとちょっとわからないので、万人におすすめしたい教育法ではないし、本を読んだからって国語が得意になるとも言い切れない。
ただ、本嫌いな人や活字が苦手という人も多い中で、活字にも本にも抵抗がないし、調べるという行為が小さいうちから身についたという点では、自分に合っていたのかなと思う。
今も、仕事にするくらいには、私にとって本はなくてはならないもの。
雑誌と漫画の安心感
とはいえ、雑誌と漫画も大好きだ。ざらざらした紙、ツルツルした紙、ペロンと折れちゃいそうな紙、いろんな紙があって、雑多な感じに安心する。新しい情報が、見慣れたフォーマットに入ってることにも安心する。
ちなみに、幼稚園児のとき、漫画や雑誌のルビで漢字とローマ字を覚えた私は、看板をぶつぶつ読んでいたようで、親はドン引きしていたらしい。
母が持っていた、洋裁の本と小説を読んで、父が持っていた、北斗の拳と釣りキチ三平とナイキのスニーカー本を読んで、自分で買った漫画を読み漁っていた子ども時代。
こんなのとか。サマンサの増刊はみんなシンプル上品、時に左右されない。
コットンタイムは30年近く経ってもロゴが変わらない、変わらない安心感……
もはやコミックスは幻、レベル
これは有明海のムツゴロウを釣る話と幻のクニマス(フィクションだったが、のちにリアルの世界でさかなクンがクニマスを発見する)話が好きで、地理的興味が強くなったのはこの作品と、色んなところに連れてってくれた父のおかげ。
ケンシロウが秘孔をついて変な敵を倒すイメージとパチンコのイメージがついてしまってるとは思うけど……
ちがう!そこじゃないから!!
マミヤさんが好き。
私はこの愛蔵版を持っています。
初めて買った大人向けの雑誌が装苑。2004年12月号かな?
服って表現の手段だったんだ、芸術だったんだと知った時、身にまとえる芸術ってワクワクする、と思った。
個人的にお気に入りだった号を載せておく。Q-potなネックレスがかわいい!欲しかった。
まあこんな感じで、とにかく本だらけの家だった。リビングにはカタログ、寝室には雑誌、子供部屋には読み物と図鑑と漫画。
高校生まで携帯を持たせてもらえなかったことと、本に囲まれた環境が自分の渇望感と好奇心の強さの基盤になっている気がする。
紙ものコレクター
タグ、パッケージ、雑誌の切り抜き、ショップカードもたくさん集めている。
中高生のときはタグとパッケージ(主にチロルチョコ)を集めていた。かつてはチロルチョコの会社(旧・松尾製菓)で仕事する夢も描いたよ。タグは、服のタグを集めて、机の傷防止シート?に挟んでました。
調べてみたら、チロルチョコにインスタがあった…びっくり……
雑誌のスクラップもよくしていた。捨てるのがもったいない雑誌は、好きなページや必要なページをとにかく切り抜いてファイルにまとめる。現在、数キロあるファイルが何冊もあってちょっと困ってる。
でも引っ越すたびに持っていってしまうのは、2度と手に入らない希少性はさることながら、自分のお気に入りだけが集まるカタログ的存在だからだろう。
ショップカードは記念というのもあるが、時々眺めてただニンマリするためのもの。所有しているということが大事なのである。
ネットで情報は手に入るし、実際にそんなに使っているわけじゃないんだけど、捨てられないんだよ〜……
人生を共にするパートナー
私の場合、紙媒体は情報収集の意味のほかに、情報への渇望感、好奇心、所有欲、コミュニケーションの一端を担うもので、ただの紙、じゃないのだ。
持ってて、なおかつ読み込んで、数年経ってまた見返して、また違う感情を抱いて。人生を共に旅するパートナーという感じ。
本に関しては、読む年齢で感じ方が変わるのもまた面白い。中高生の時はハートが痒くなるぐらいむずむずきゅんだった放課後の音符(キイノート)も、今は自分の大人になりきれてない部分をえぐってくる。登場人物みんな私より大人な気がしてならない……
私が買ったのは小学生の時だったので、表紙が新しくなっていた。
今も本屋に一度吸い込まれると数時間出てこれなくなり、しまいには近所の本屋と文具店をはしごすることになる私。きっとこれからも紙という媒体に惹かれ続けるんだろう。
P.S. 写真を始めて、ZINEを作ってみたいという願望がふつふつ湧いています。まだ写真もフォトショもイラレも中途半端にも関わらず!!何も決まってませんが!!その無謀さに思わず喝采。
ぜひサポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、カメラレンズの購入に充てようと思います☺︎