在る
過去とか未来って存在しなくて。
私が在ることができるのは今しかなくて。
だから
"今までありがとう"
って言葉を交わした瞬間
その日常とそこから生まれる関係性には
もう戻ることはできなくて
もうその時間に戻る事はできない。
極端なことを言えば、
今この文章を綴り始めた数分前の私は
この文字を打った数秒前の私は
もう存在しない。
目の前にある
この瞬間の連続が
"今"をかたち取っていて
過去に在ることはできない。
つまり、過去も未来も存在することができない。
私は今にしか存在することができないから。
今まで何となく自分が
過去と今と未来で形成されたライン上を
歩いていて
後ろにも前にも道があって
そこを進んでいくような
そんな感覚で在っていたけれど、
過去も未来も存在しないと認識した瞬間
前にも後ろにも道がなくて
足元に立てる場所が小さくぽつんとしかない
そんな不安感をおぼえた。
今にしか存在することができないって
当たり前だったはずなのに
どうしてこんなに不安なのだろう。
そんなことばかり考えていた矢先
数年ぶりに旧友に再会する機会があった。
"今までありがとう"
を交わした旧友だ。
昔は毎日の様に、ではなく毎日一緒だった。
お腹が捩れるほど笑って
鼻水が垂れるほど泣いた。
そんな旧友とのかけがえのない
宝箱にしまっていつまでも見つめていたい
そんな"とき"はもう存在しない。
でも、
存在していないのだけれど、
存在していた、共にした時を
互いが今でも認識することができた。
もう今ここにはない、
存在していた過去という時間に築いた
信頼感や関係性は
今にも存在することができて
それらで今というときを共有して、
今を育むことができた。
なんだかそれって当たり前なことだけれど
ものすごく不思議で、
興味深いというか
面白いことだなと思った。
そして、
今はなくなってしまったはずの愛おしい時が
まるで今にまた産声をあげて生まれたかの様な
なんだかそんな幸せでくすぐったい気持ちが
また今私を幸せにした。