遊びごころ
ちょっとーーー。またやってきましたね。
コロナ第二派!!!
まじやめてほんとに!!!
おとなしく自粛してたじゃん!!!
お家と52時間一緒っ♡....とかいう日だってあったじゃん!!!
いやー、もう遊びたいよっ!
そう私は遊び足りない!!
刺激が足りない!!!
ということで、本日紹介する本は
『遊びの考現学 ー根拠地としての遊び精神ー 』
門脇厚司 著
成文堂光社
1982
です!!!!
これすごく面白かった!!
「遊び」とはなんぞや?
みたいなことがひたすら書かれてるの!
「遊び」の概念みたいなー?
「遊び」ってそもそも非生産的だよね!
サイコーじゃん!みんな思い切って遊ぼうぜ!
みたいなことが書いてあるの!
あとは「遊びごころ」について!!
私の1番すきな言葉「遊びごころ」!
多田道太郎の『遊びと日本人』なんかを読むと「遊び」というのは、何かなんてないものだしそんなものに何かを期待する方がおかしいぞというようなことが書いてあるのー。
こっちもすごく面白いんだけど、
今日紹介する本にはね
もしみんなが遊び人になったら、この世(つまり社会)は滅びると思う。
このままいったら世の中全部破滅じゃないかと。そこで、どうせ滅びるのだったら社会の都合が先行して、人間がそれに追随するといったかたちではなくて、むしろ個人の方が先取りする形かたちで、ひとりひとりが自分のやりたいことにこだわって生きて、そのために社会が上手くいかなくなって、滅びると言うようなかたちのほうがいいんじゃないか...みたいなことが書いてあるのよー。
まじかっこよくなーい?ロックじゃん!
あとね、
現代における「遊び」というのは何かほかの言葉で言い換えるとしたら、結局自分なりの価値観に基づいてというか、自分なりの考えに基づいて自分の生活設計をして、それにこだわって生きてみせるというか、そういうふうにも言えると思うんです。完全にどっかの山の中にこもって、そこでちまちま生きるんじゃなくて、この世の中を完全に自分の価値観を貫くことで生ききってみるという、そういうことがやれたらこれは面白いことになってるのではないかと言う気がしているわけですが...
とか、
遊びなどと言う非常に不合理な、何かわけのわからないもの、さも合理的に追求することが果たしてどれだけ意味のあることなのか、遊びと言うものはそういうふうに真面目に考えていくこと自体がおかしなことじゃないか、と考えてしまうわけです。
なーんて、書いてあるのよー!
私にとって人生は全てが遊びだと思ってるし、全てが遊びだと思ってる反面、全てが真剣の生きるための労働でもあると思ってるのー。
てかねー、意味のないことに熱中することは、ある意味バカだって言われるけど、意識的にバカになれると言うのは凄く大事だ思うんだよねー。
遊ばない人=真面目な人=働き者(生産的な人間=望ましい1)っていう概念が何の疑いも持たずに、みんな信じてるのが、恐いんだよねー。真面目であることに危険を感じてないのが恐いっ!
あー、あとあれ!賢くて「遊びごころ」足りてない人は都々逸とか読んでほしいわ!
どの句を見ても滑稽で風刺が小気味いいし、支配者に対しても恐れることなく大胆に向かっているのよー。現実を直視するっていうか斜めに見ることによって、よりストレートな感じが出ているきがするのー。
厳しい現実社会の中でも、それを遊べる遊びの精神が大切なんだと思うのよねー!
あ、あとね、紹介してる本の中にも出てくるんだけど、昭和50年6月創刊のパロディー雑誌『ビックリハウス』も面白いから読んでみてー。なんといっても響くのはカレンダーのコピー!!!運勢暦とかに盛り込まれている教訓をパロった新しい教訓を創作して並べるコーナーがあるんだけどめっちゃ面白いの!
寝る子は粗雑。
小さな親切、大きなお世話。
可愛い子には旅を食べさせろ。
馬鹿とハサミは恐いよう。
残暑お見舞い帽子あげます。
とか書いてあるのよー!
しかも、投書する作者のほとんどは20歳前後の若者たちなんだってー!驚き〜!
あとねー、1970年代にニッポン放送で放送されたラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!』も見てほしいー。
見るの面倒だなぁと思う人は、この本の96頁に一部文字起こしされたものが載ってるから読んでみてー。
ああいう「遊びごころ」は一生忘れずにいたいなぁと思います。
以上!岡村真衣でした!読んでくれてありがとうございました!!
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