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僕の考える幸せ + 瞑想

読者の皆さん、メルハバ!

突然ですが、僕たちは生きていますが、何のために生きているのでしょう。

生を受けて、生きるのが当たり前だから生きていますが、人生に目的はあるのでしょうか。もちろん人それぞれだと思います。でも誰にでも共通して言えることは誰もが幸せになりたいと思っていることではないでしょうか。

「人生の目的は、心の平安を得て、幸せになること」

と考えた時、どうすれば幸せになれるのでしょうか。心の平安はどこから得られるのでしょうか。

心の平安


心の平安とは何の問題もなく、平穏な状態と言いたいところですが、生きている以上、人間は日々、誰しも様々な問題に直面します。何が起こってもぶれない自分の軸を持つことが心の平安に繋がると思います。

では心の平安を得るためにはどうすればよいのでしょうか。僕は自分にとって絶対的に信頼できる心の拠り所を持つことが必要だと思います。心の拠り所とはなんでしょう。僕の解釈ではこれさえあれば頑張れる、自分を支えてくれる絶対的な何かです。心の拠り所の例はどんなものがあるのでしょう。

まず、家族。これに反対する人も勿論いるとは思いますが、大抵の人は賛成してくれるのではないでしょうか。血縁があることがより強い繋がりを感じさせ、何かあった時に無条件で助けてくれる存在です。

上記の家族に賛成できない人でも自分を応援してくれる人、信頼できる人は心の拠り所となりますね。同じ目的に向かって一緒に頑張っている仲間、あなたの幸せを願ってくれる友人も、たとえ家族でなくとも心の拠り所となるでしょう。

ここまで書いてきたのは自分と直接関わりを持つ人達でしたが、そうでない場合はどうでしょう。例えば自分の憧れの人、目標の人、何かを頑張っていて素敵な人、こんな人達も拠り所になれると思います。たとえ今までもこれからも一度も会う事がなく、相手はあなたの存在を知らなかったとしても、その存在があなたの支えとなることは自然なことです。

今までは人があなたの心の拠り所になるという話をしてきましたが、人でなくても拠り所はあると思います。例えば仕事です。好きな仕事、やりがいのある仕事、誰かの役に立っていると感じる仕事も、これがあるから頑張れるという心の拠り所となるでしょう。

そして、「忘れられない記憶」を挙げたいと思います。例えば誰かがあなたにかけてくれた言葉、今までの人生のワンシーン、映画や本の中のシーンやセリフでも何でも構いません。勇気づけてくれる記憶が多ければ多いほど幸せな人生とも言えるかもしれません。これらを拠り所に、辛い事に直面しても乗り越えて行こうという気持ちにさせてくれます。

最後に宗教です。僕の考えではこれ以上に心の拠り所、支えとなるものはないと思います。僕はイスラム教徒ですが、その教えを心から信じていますし、神様の教えは絶対です。不思議に思う人もいると思いますが、理屈ではなく絶対なのです。勿論なぜこんな教えなのだろうと疑問を感じれば、イスラム学者の解釈からその意味を学ぶこともできます。僕は何か問題に直面したり、迷ったりした時は神様に問います。このような絶対的な指針があれば、ないより、よりスムーズに生きていけると思います。

幸せになるには?

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