現代版アレンジの意図について
とかく日本は内部告発者に冷たい。
『裏切り者』と、ネガティブ感情が強い。綱紀の粛正は、トップダウンのみを恭しく戴いて履行し、ボトムアップを『生意気』『分かっていない。口答えだ』と排除、無視。
頭が腐っていた場合、それではどうしようもないではないか。
故に、友達へ苦言する物語を考えてみたのが本作です。
1、ミホとキョウコはクラス替え直後の小学3年生と設定し、遠足道中で仲良くなるような展開とした。
2、キョウコのおやつ内訳
定価30円の棒つきキャンディー2個。
ソフトキャンディーについて、ミホはキョウコからりんご・いちごの匂い、みかん味、ぶどう味、シトラス味を視認、少なくとも5つのフレーバーを確認している。
キョウコがおやつ予算超過している疑い。
3、バナナをスイーツに変えただけ。元々、話の根幹はここではない。
5、登場人物に人格を持たせるべき、背景をはっきりさせるべきだと思って(余計な位)オリジナルの設定を盛った。
特に、ミホの事情をコントラストに、キョウコの事情に思いを巡らせてもらいたかった。
↑ を読まれて、関心を持たれた方は是非、↓ 余話も御一考下さい。
●あなたはどの立場?何を考えるべき?
「たかだか百円、二百円に目くじらを立てて、下らない話だ」
実際の現場ではそうかもしれない。しかし、道徳の解答としては完全な落第点だ。
では登場人物の心情になって考える?いや、あなたの自身の社会的スタンス、思考から離れて何の意味があるだろうか?
あなたがサイレントマジョリティーならばそのままで、第四、第五の登場人物として物語に登場すべきだろう。
常見陽平氏の著書『僕たちはガンダムのジムである』、そのタイトルは実に秀逸である。無理して自分を主人公に重ねて、果たして「考え、議論する道徳」は上手く行くだろうか?
例えば、あなたは「スイーツはおやつに入りますか?」という意味不明の発言をしたクラスメイトをどう受け入れますか?
もっとも、一番頭を悩ませなくてはいけないのは教師である。
【重要ポイント②これは終わった(済んだ)話である。納得のいかないミホは蒸し返すかたちで問題提起をした】は、教師に突き刺さる。教師もまた答えを出さねばならない。どう対応すべきだろう?
現在、教職に就いている者の肩にかかる重責も考えねばならない。
物語の続きはどうなるだろう?あれは些細な出来事のようだし、重大な事件のようにも思える。何故なら、未来は定まってなどいないのだから。
大人気のアメコミ映画『デッドプール2』、主人公デッドプールは何もかも受け入れる包括の精神に根ざしているという。
エキセントリックな人間に出会ったとき、拒絶しないこと、第一印象に固まらないこと。
先ずは毛嫌いしないことから始められないだろうか?
最もシンプルな道徳物語は、『出会い』ではないかと思うから。
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