おれんじドアみの
7月2日は岐阜県の中部学院大学で初開催された「おれんじドアみの」へ。
上田光敏さんと初めて会ったのは、たぶん2018年頃だったと思う。
山田真由美さんが名古屋市西区でやっているピアサポート「おれんじドアも〜やっこなごや」での出会いだった。
当時のも〜やっこなごやは、発足から1年が経ち成熟した場になりつつあった。
毎回、当事者同士の新しい出会いと対話、希望のリレーがつながっていた。
光敏さんもそんな中のひとりで、毎回美濃市から名古屋まで通い、いつも「おれんじドアが本当に楽しい」と笑顔で話していたのが印象的だった。
光敏さんはも〜やっこなごやに参加しながら、ある想いを持つようになった。
それは「おれんじドアを地元でやりたい」という想いだった。
2020年の初めには出雲に講演旅行に行った。講演でも、いっしょに入った風呂でも、「おれんじドアをやりたい」と力強く語っていた。
地元での協力者も見つかり、光敏さんの夢「おれんじドアみの」が実現する直前、コロナウィルスの影響によって、中止が決まった。
それからの2年間、光敏さんも、妻の清子さんも、そしてパートナーの美濃市地域包括の奥村さんも、「なんとか実現したい」とその機会をうかがってきた。
その間には、いろいろなことがあった。ぼくが知る限りでも、本当にいろいろなことが。
それでも、光敏さんの想いは一切ぶれることはなかった。
「おれんじドアをやりたい」
そして、今日という日を迎えた。山田真由美さんもかけつけた。
この2年の間に、山田さんは要介護5に、光敏さんは要介護4になった。今はふたりとも施設で暮らしている。
ふたりの間にあまり多くの言葉はなかった。
元々そんなに口数の多い方でない光敏さんは、以前に比べさらに言葉の数が減った。山田さんも、そんなに体調はよくなかった。
それでも、ぼくたちが見たふたりのいる光景は、ただそこにいるだけで、不思議な力に溢れていた。
人の想いがつながり、誰かを動かす。
光敏さんに、「やったね」と声をかけた。「やったよ」と返ってきた。
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