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誹謗中傷について宗教家が考えてみた。

どうもキリスト教の伝道師をしているフミカです。
少し前からネットリテラシーとか、ネット問題って盛んになっていますね。
聖書からこのような問題についてどのように理解するのが良いでしょうか。

ちなみに、哲学マガジンではまだ取り扱っていないのですが、
哲学者のキルケゴールはこのように言いました。

近代の都市社会では、個人は大衆の1人となる。
大衆の一番の特徴は、無責任なおしゃべりである。

この無責任はおしゃべりが本当に多くの人を傷つけているのだろうなと思います。
このキルケゴールについては、哲学マガジンでもう少し詳しく書く予定なので、乞うご期待!

では、宗教家の一人として、この問題についてどのように考えているのか。というと、別のブログで書いているので、ぜひ、そちらを一回読んでいただければと思います。(画像をクリックで飛べます!)

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ボクが思うことなのだけど、聖書はきっと、誹謗中傷がどうのこうというよりも、愛に満ち溢れた世界を願っていると思う。
ボクはこれがネットで議論されるんじゃなくて、高校生たちがリアルに顔を合わせて考えることや意見を言う場所があるといいのかなあと思ったりしています。
ぜひ、そんな話をしたいって言う高校生は、ボクの普段やっているクラブに来たり、コンタクトしてください!

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