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プロでもうれしいこと
ずっと仕事の原稿に埋もれてると息してない気がしてくる。
書籍の場合7万字とか10万字のテキストを掘り起こすように書く。なんていうか一人でヘッドランプを頼りにほの暗い坑道に入り、テキストの鉱山の奥深くに潜って、鉱脈を見つけてはコツコツと掘っていく感じ。
そうして採掘されたテキストをトロッコに積んで運び出し、構成して編集して本になり誰かの心の火を灯すことだけを考えて黙々と書く。
それなりに長くこの仕事をしていて、経験を積めば楽にできるようになるかというと全然そんなこともない。まあ、どんな仕事でもそうだと思うけれど。
だいたい一冊の本で3週間から1か月はそんな日常が続く。
書いている本のテーマによって違うけれど、テキストを掘り起こす作業と並行してその内容に関連した資料や情報もレファレンスしながら、書き進めている内容の構造も常に脳内のどこかでチェックというか思考し続けるのだ。文字にしても面倒くさいね。
でも、それをやるのとやらないのでは仕上がりがまるで違ってくる。
その間、仕事以外のちょっとしたことを考えるのも、仕事モードから切り替えるのが面倒くさくなるので逆に仕事だけをし続けていたほうが楽という、ややおかしな状態もままある。
ただ、そんなふうに仕事だけしてるマンになると、人間的にもいろいろ不都合が生じる。心の動きが鈍くなる。感情がフラットになっていくのが自分でもわかる。
なのでこうやってnoteも書いたり、いろんな人のnoteを読んだりしてるわけだけど。
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思ったけど、僕の場合は、直接人から話を聞くのは無意識に仕事回路に接続されるときがあるので、穏やかに誰かの話を聞くのならnoteみたいに文字になってるほうがいいらしいです。
なので、note上の間接的コミュニケーションはなんか新鮮な外の空気を吸ってる感じ。
最近だと、noteでライターの古賀史健さんが「旅に出ているあいだ、みなさんからの質問にお答えします」という企画をされていて、そこにまあ使われないだろうけどと思いながら質問を投げ込んでみた。
そしたら、たまたま拾ってもらって答えてもらえたのが、なんかうれしかったのだ。同じプロ(向こうは超売れっ子クラスのライターだけど)なんだけど、なんだこうやって自分の投げたものを拾ってもらって、一瞬でも考えてもらって言葉にして載せてもらうのってうれしいんだなと。
芸能人(この言い方も、もはやなんか違う感がある)が、しれっとふつうに混じってメディアに投稿したりスナック的なところで歌ったりする人いるけど、わかる気がする。
それって自分の何かを見せびらかしたいとかではなくて、仕事以外の場で純粋に何か反応もらえてうれしくなりたいのかも。結果的に仕事のスキルを使ってであっても。そんな気がする。師走の現場からは以上です。