バスの運転手になった話
たまに真逆の世界に憧れる。基本、誰かに憧れるってこともないし、憧れなんてふだんはあまり口から出ないのだけど。概念としての憧れ。
僕にとっては「バスの運転手」もそうかもしれない。
職業的な憧れというより、バスの持つバス性(そんな言葉ないけど)に対してなのかもしれない。あの小さくも大きくもない限られた空間に、どういうシャッフルでそうなったのかわからない人たちが乗り合わせるという位相。
その位相を操ることへの憧れ。そういうのないですか?
バスじゃなくても、自分の職業とか自分がふだんやってること、関わってることとまるで関係なく全然違う世界に不意に入り込んでしまった自分を想像すること。
絶対にやるはずないとわかってるけど、でももしそれをやることになったらと考える。妄想っていう言葉もあるけど、それは妄想として楽しむというより、半分自分がその世界に片足を突っ込んでるぐらいのリアルさで。
バスの運転手。
乗り物としてのバス(Bus)の語源はオムニバス(Omnibus)からだ。「すべてのための」もの。
そう。バスはすべてのものたちに開かれている。だから僕が知らない間にバスの運転手になることだってあるし、うっかりバスツアーの乗客に紛れることがあってもふしぎではない。
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ある日、noteの街を歩いてると、ふと僕を呼び止める声がした。
「ふみぐらさん!」
スナック『クリオネ』のクリオネ姉さんだった。流氷の天使。不要不急の妄想子守唄。
いつの間にか、こんな「作品予告」が出来あがっていて、僕はあろうことか「21世期、孤高の文章ロッケンロール」を奏でることになっていた。
僕にロック要素があるのか不明だけど、放っておいても世界がズレて歪んでいくのをロッケンロールと呼べるならそうなんだろう。
もちろんクリオネ姉さんは筋の通った方なので、僕に予告の予告もしてくれていて、僕はバスを点検していればよかった。
僕がバスを走らせる日が来た。あまり知られていないのだけど、都内にはこうやって運転手が指名されて走る「夢の下町バス」がある。
え、ふみぐらさんってバスの免許(大型二種)持ってるの? と思われるかもしれないけど、もちろん持ってない。でも大丈夫。運転手に指名はされるけれど、実際の運転はちゃんと免許を持った僕がやってるから。
だから僕も一緒にこの特別なバスツアーを楽しめる。
そして何よりいいのは、こうやってnoteでそのバスツアーに乗車できることだ。
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端的に言って、いいツアーだなと思う。なかなかこんな経験もないから。自分が運転してるバスのツアーを自分も乗客に混じって楽しめるなんて。しかも、何かがおかしい。
おかしいのだけど、そのおかしさはマーブル模様のおかしさで、やわらかく現実をくねらせながらツアーの乗客を呑み込んでいく。
誰ひとり正しくなくて誰ひとり間違ってない。みんな愛すべき存在。人だけじゃない、バスを待つ魚たちも虹に止まって歌ってる鳥たちもみんな。
二度と同じ乗客で同じ時間を旅することはないかもしれない。でも、たしかにその時間はあったんだ。そのことを想えるだけで何かがじわっと満たされる。
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クリオネさんインスパイアで本当に走らせてくれた「夢の下町バス」。ここから乗れます。