
ミルクティーを飲みながら「自分」をふりかえる
こんにちは。ひじきです。
突然ですが
わたしは自分が大嫌いでした。
でも、人のことは好きでした。
生涯、ずっと片想いしていくと思っていました。
人に好かれない自分を、ダメ人間と思い込みながらこの世から消えていくのだと思っていました。
そして
私には人を嫌う価値がないと思っていました。
人に嫌われる私には、人を嫌うまでの価値がない。
いわゆる損得感情かもしれません。
本当の心を隠して
私は「いい子」であり続けようとしました。
「いい子」でいればすべてが丸く収まると思っていたからです。
でもそれはかりそめの平穏でした。
わたしが「いい子」でいなくなれば終わってしまうほど、簡単に砕けるのです。
生まれてきて数十年がたちました。
私は大きな勘違いをしていたことに気づきます。
私は自分のことを「怪物」や「妖怪」だと思っていました。
ひとのこころがわからない人間のフリをした化け物だと。
でも違いました。
私も「人間」なのだと思います。
今はまだ自信はなくとも。
私もまた人間なのです。
ひとのこころが分からないのは、考え方がちがうから。
ひとのこころは、察知するものではないから。
人の心を深読みすぎて、分からなくなったのは自分自身のこころでした。
私の愛情表現はとても分かりずらいものです。
ストレートに表現する兄弟が羨ましく思えるほどに。
自分のことを透明人間のようにして、「いい子」というラベルを張りつけて、型にハマっていたのは私の方です。
だからこそ抑圧された自分自身が叫んでいます。
『助けて』
私は、自分自身をたすけなければなりません。
それは苦しさを抱えた私自身を救うことになるから。
いつか、生きやすくなるから。
私は人が嫌いです。
私は人が怖いです。
でも
私は人が好きです。
私を怖がらない人が好きです。
今はまだ「妖怪」と思い込んでいる私のことを、好いてくれることがたまらなく嬉しいのです。
それは家族や友人、恋人。どんな形であれうれしいことなのです。