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20年越しの想い、「カルパッチョ」展、ヴェネツィア


「二人の貴婦人」、画像はWikipediaから拝借

 テラスに腰掛けた二人が、視線を合わさずに画面の左方を見つめている。不思議な構図の、やや中途半端なサイズの板絵。15世紀末から16世紀初めにかけてヴェネツィアで活躍した、ヴィットレ・カルパッチョの作品は、長らく「二人の娼婦」とされてきた。あの須賀敦子さんをして、「うつろなまなざし」や服装からコルティジャーナ、すなわち当時ヴェネツィアに存在したいわゆる高級娼婦ではないか、と納得させるに至った、何やら謎めいた絵。そのエッセイを読んでヴェネツィアに来た私は、初めて見たときになるほどとわかった気になっていたし、実際、当時はその説が主流だった。
 その後、と言ってもかれこれもう20年も前(!)になるのかと思うとそれにも驚きだが、ヴェネツィア大学で受けていた近代美術史の授業の中で、あっとびっくり、目から鱗が落ちることになる。

「水上の狩」、画像はhttps://www.getty.edu/ より拝借


 薄いエメラルドグリーンのラグーンに浮かぶ舟たち。それぞれ、4名ずつの男性が乗り、向こうには掘建小屋がいくつか、そしていかにもラグーンの中の低草の草原と、遠くには青く山が見えている。ラグーンのよくある風景を描いたような、地味な絵。雰囲気もテーマも、登場人物のサイズも全く異なるこの絵がなんと、あの「二人の女性」から切り離された上半分だった、と。「二人の女性」と、関係があるようには見えない、古物商で発見された風景画が「上半分」であることを示す決め手は、画面左下に突如咲いている百合の花。ラグーンの水上に咲く花ではないし、不思議な位置に描かれている。ところが、「二人の女性」を下半分に合わせてみると、なんと、テラスの欄干に置かれた壺から、よくみると百合の茎と葉がのぞいている。花瓶に百合が生けられていれば、花まで描くのが普通だろう。ところが、ここでは、変なところで見切れている。この2作品を上下で合わせて見ると・・・なんとこの百合がピタリと、辻褄が合う!
 そして「二人の女性」は、娼婦どころか、まさにその服装や髪型、アクセサリーは、この作品が描かれた1490年代の、上流階級の女性たちの姿そのものであり、犬やおうむ、白鳩に雌孔雀など、貞節や純潔など、彼女らを示すシンボルであることが改めて示された。また、百合の生けられた壺には、よく見ればヴェネツィア貴族の紋章が描かれている。
 さらなる決め手は、ラグーンの風景の絵の裏。ここには、騙し絵のように、折り畳まれた手紙が、壁に留められた革紐にかけられている。これは当時の恋文、であったらしい。

壁に止められた手紙、画像は https://www.getty.edu より拝借


 つまりこの作品は、ラグーンに狩に出かけた男達と、その帰りを待つ女達、・・・だったのだった。
 パズルのような、謎解きのような授業で学んだのは、常識や既知と思われていることも、実はそうでもないかもしれない、ということ。やみくもに、鵜呑みにするのではなく、常に疑いを持つべし。特にこうした美術作品は、時間や空間を離れることで、その当初の意味を失うことがしばしばある。この作品は、いつの間にか2つに分けられ、別々の後世をたどったことで、「二人の貴婦人」が「二人の娼婦」へと、全く意味を変えて伝わってしまったのだった。

 ヴェネツィアのコッレール美術館に所蔵される「貴婦人」たちと、ロサンゼルスにあるゲッティ美術館に所蔵される「水上の狩の風景」(Caccia in Valle)が、1999年以来24年ぶりに、ヴェネツィアで同時展示されている。授業でこの数奇な運命を知ったときから、いつか、一緒に合わせた姿で見たい、と願っていたその姿が目の前に。
 ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレで開催中の「カルパッチョ」展は、これを見るだけでも十分な価値があると思っていた。当然、順路のハイライトに来るのだろうと想像していたら、展覧会場に入って、ほぼいきなり目の前にどーんと飛び込んできてビックリした。え?本物???
もちろん、2つを繋いだ形で、触れることのできるくらい間近で、裏面の「恋文」も見えるよう、展示室の中央に配置されている。
 水上の狩と、二人の貴婦人と。間をつなぐ百合の花がなければ、どう見ても全く別の作品のように思えてしまう。いつ、どこの誰なのか、バッサリ半分に切ってしまった気持ちも、わからないでもない気がする。だが、描かれている男性たちは、つい直前に見た、ラグーナでボートの練習をする人々の姿格好と同じなのに、ふと笑みが溢れる。同時に、絵の中の彼らは、そういえばカルパッチョの絵に出てくる男性達と似たような服装や髪型をしている。
 そして、まさに百合1本が、2つの全く異なる絵を1つの、奥行きとストーリーのある絵に昇華させていた。

会場内撮影禁止だったので、購入したカードで合成・・・

 いつか一緒に・・・と願っていた、2つの絵を合わせた展示にドキドキした。暗い室内に浮かび上がるように置かれた作品に、吸い込まれるように見た。いつまでも見ていられる気がした。

23 apr 2023

「ヴィットレ・カルパッチョ 絵画と素描」展
ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ
2023年6月18日まで

Vittore Carpaccio. Dipinti e disegni
Venezia, Palazzo Ducale
dal 18 marzo al 18 giugno 2023
https://palazzoducale.visitmuve.it/it/mostre/mostre-in-corso/vittore-carpaccio-dipinti-e-disegni/2023/02/22809/mostra-carpaccio/

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