AIが翻訳してくれる時代に英語を学ぶ意義
今年に入って毎朝、英語を学んでいる。
今読んでいるのは、小説『君の名は。』の英語版。
知らない単語が多すぎて心が折れそうになるが、毎朝、少しずつ読み進めている。
AIを使って、段落ごとに英文&日本語訳をセットで出力すると、すごく捗る。こんな感じに。
「してくださーい」のやまびこが「お願いしまーす」なのが不気味だが、基本的に翻訳内容は正しいし、質問すれば丁寧に回答してくれる。
ただ、序盤に体が入れ替わった直後の「自分の胸を揉むシーン」は、コンテンツポリシー違反を理由に頑なに訳そうとしない。これがAIの限界である。
英語の漫画も読んでみた。
『ドラゴンボール』の1巻だ。
読みにくい。
どうやら、英語の漫画は全て大文字が基本らしい。
手書き時代に、文字が見やすいとか、バランスが取りやすいとかいう理由で大文字に統一したそうだが、英語初心者にはとにかく読みにくい。
そして、孫悟空が「アイム ゴクウ」と名乗っている。彼の有名な一人称「オラ」の要素はない。
「僕」でも「俺」でもない「オラ」の醸し出す雰囲気は、海外の人には伝わっていないのだ。
ベジータが「貴様」と呼んでも、「you」としか表現されないのだろう。ベジータの魅力半減である。
アメリカ人には、他国の言語を熱心に学ぶ人が少ないらしい。
当然といえば当然だ。もし日本語が共通言語だったら、僕も英語を学んでいない。
学生時代は、仕方なく英語を勉強していた。
受験に使うから、学ぶしかない、と。
でも、週にたった数時間の授業で、英語を扱えるようになる人が、どれほどいるだろうか。
大学時代、外国人の生徒に英語で道を聞かれた。
表現は知っているはずなのに、ほぼ話せずに9割ジェスチャーで答えてしまい、英語を学んできた時間を思うと少し悲しくなった。
でも日本で日本人に質問する人は、日本語で頑張れよとも思う。
日本語の「木漏れ日」は、英語では「sunlight filtering through trees(木々の間から射す日光)」になってしまう。風情がない。
相対的に見ることで、日本語の独特の美しさや柔らかさに気づく。
一方で「elephant in the room(部屋の中の象)」の意味は、「誰もが気づいているが触れたがらない問題」らしい。
部屋に象がいるという、謎にクレイジーな状況。日本語にはないインパクトだ。
片目だけでは物の奥行きがわからないように、1つの言語だけで表現された世界は、見え方が固定されるのだ。
2つの言語を通じて初めて見える、世界の奥行きがあるのだろう。
AIが翻訳してくれる時代に、敢えて人が英語を学ぶ意義は、この辺りにありそうだ。