大人になったわたしたちは
久しぶりに同級生と会う前、自分がどんなテンションで、ノリで、態度で接していたか分からず緊張してしまうという経験はないだろうか。
ましてや、思春期を迎える前の小学校の同級生となると尚更である。人は思春期にある程度の人格が形成されて以後そんなに大きく変わることはないように思う。だから、同じ空白の10年を過ごしても高校時代の友達か、小学校の友達かによって久しぶりに会った時の感触は大きく変わる。
私は同窓会でなんだか切ない思いをした。みんながすごく変わっていて、それでも立場や扱いは変わっていなかったというギャップに戸惑った。
10年近くも会わなければ人は変わって見えて当然なのだ。人の本質は変わらない。だからあくまで変わって見えただけ。それか、その人の本質は隠されていたり抑圧されていて出せていなかっただけなのかもしれない。思春期のころなんて本当の自分なんて出したら叩かれるだけだし。
むしろ私がその人と認識していたものはその人にとって自分じゃないわけで、間違ってるのは私の方だったんだと気付かされた。
しかし、根っこは変わってないもんで扱いとか立場ってのは厄介にも変わらないのだ。まるで女っぽくなかった私は未だにそんな扱いだった。あの頃より少しは女っぽくなったし、大きくなってからはそれなりに恋愛もしたのに。やっぱりあの頃チヤホヤされていた子が今もチヤホヤされていた。また昔みたいなコンプレックスが引っ張りだされてしまった。
馬鹿みたいだ、惨めなこの感じ懐かしいなって。いつもクラス会の帰りはなんとなくやっぱり私は私で何にもなれないんだって惨めさだけを抱えてみんなと笑顔で別れてたっけ。そして、そんな浮ついた気持ちを持って参加してた自分にも気づく。あほくさい。
人間なんてまぁそんなもんかとも思う。だって私だもの。
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