「ポイント・オメガ」 ドン・デリーロ
都甲幸治 訳 水声社 フィクションの楽しみ
政治的に振り回され、砂漠の真ん中の家に一人住む老境の科学者と、若手の映画監督の対話、の中編。
それを挟むように、ヒッチコックの「サイコ」を二十四時間に引き延ばした作品、そしてこの作品をずっと見ている「彼」の部が「匿名の人物」として、小説の最初と最後に配される。この二十四時間版「サイコ」は、実際にニューヨーク他の美術館で上映されたダグラス・ゴードンの作品。
挟まれた主要部は、砂漠の家で、イラク戦争の諜報機関?にいて今は隠遁しているエルスターと、彼についての映画を撮りたいという語り手の対話(沈黙含む)。この二人はこの「匿名の人物」部で十分くらい見る二人連れという役で出てきている。
あの子は子供の頃の自分。
最初はずっとこの二人での進行かと思いきや、彼の娘であるジェシーが現れて三人となる。ジェシーはなんかある男から逃げている(あるいは隔離するよう母親から言われている)
p95では寝ているジェシーの部屋をそっと見る語り手の姿が描かれている。しかし、その後すぐにジェシーは忽然と消えてしまう。先のp95に対応する場面がこちら。
p95の時にも実際には語り手はジェシーのそばにいたのではとか、ここでは語り手の精神が分裂して存在しているとか。
結局ジェシーは見つからぬまま、エルスターは虚弱して、語り手によって元妻、ジェシーの母親のところへ連れて行かれる。エルスターの意識とともにあった物質と意識の融合点であるオメガ・ポイントも彼とともに小さくなっていく。
と、語り手とエルスターの乗った車が大きな街に近づいていくところで主要部は終わり、「匿名の人物」部に戻ってくる。日付がついていて、冒頭が九月三日、この結末が九月四日…ということは、こちらは全く連続していて、主要部が時間的に間に挟まっている展開ではないということだ。これは「彼」かあるいは読者が、何かの夢でも見ていたのか、と感じさせる。
この結末の「匿名の人物」部でも焦点化される人物が現れる。もちろん「サイコ」の上映場所からは離れているけれど、他にもどこからかも離れているように思える。
わかるだろうか。冒頭の「匿名の人物」で、エルスターと若い映画製作者が出てきたのと対になって、ここではジェシーが現れているのだ。3ページ後にエルスターが語ったように唇の動きを見て言うことがわかる、という謎解きがされる。
自分ではないもう一つの場所に、自分の意識を置くことができる、この時既にオメガ・ポイントに達しているのではないか…結構難解でついていけないかと思ったけれど、全くそういうことはなく、実はチャーミングな作品ではないか。
(2020 12/06)