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「イタリアの詩人たち」 須賀敦子 から、サバとモンターレ

「須賀敦子全集第5巻 イタリアの詩人たち ウンベルト・サバ詩集 ほか」 河出文庫  河出書房新社

「イタリアの詩人たち」(1977-1979)

ウンベルト・サバ
ジュゼッペ・ウンガレッティ
エウジェニオ・モンターレ
ディーノ・カンパーナ
サルヴァトーレ・クワジーモド

サバとトリエステと「三つの道」

まずは著者偏愛(たぶん)のサバから。評論家ジャコモ・デベネデッティの言葉であるけれど、須賀敦子にしても「トリエステの亡霊」(だっけ?)の著者にしても、サバという詩人には「なにげなく選んだ道をサバとともに散歩できたなら・・・」と思わせる魅力がサバの詩そしてサバ自身にもあるのだろう。

こんな感じ。


 トリエステには

 閉ざされた ながい悲しみの日々

 ぼくが自分を映してみる道がある。

 名は「旧ラザレト通り」。

 どれもおなじ古い養老院に似た家並。

 だが その中に ただひとつ 明るい調べが。

 両側の家の盡きるところが 海なのだ。

(p15 「三つの道」冒頭)

節の区切りに空白があるのが、そこから海が見え隠れしているようで(それは訳者の技かもしれないが)愉しい(と思ったら「ウンベルト・サバ詩集」の方では「三本の道」(p178)となっていてこの空白開けもない、そちらはそちらで読んでください、ここには引きません)。


モンターレの最初の詩


モンターレ(見たのはこっちの方が先)。モンターレ家では、ジェノアを夏に離れて、モンテ・ロッソというリヴィエラ海岸の町の別荘で過ごしたという。そこで最初の詩が生まれた。


 昼下がりの野菜畑の 灼けつく塀のほとりで

 蒼白く呆けて 時の逝くにまかせる

 李や茨の茂みで 鶫が舌打ちをし

 蛇が かさこそと音をたてるのを ただ聞いている


 罅割れた地面に カラスエンドウのうえに

 赤茶けた 蟻の列が連なり

 ほんのわずかな 土の起伏にも

 ふと崩れ去り また縺れあうのを 窺っている


 深く繁った枝のあいだから ずっと遠くに

 海の鱗が 動悸うつのを じっと見ていると

 禿げた岩山の頂きから

 おぼつかない 蟬の軋めきが 立ちのぼる


 眩しい太陽の 光のなかを行くと

 悲しい驚きに襲われ

 いのちと そのつらい営みの すべてを感じとる

 尖った壜の破片を埋めこんだ

 この石垣の道をたどるあいだに

(p63-64)


須賀氏が「作者の決然たる静止への志向が支配する、閉ざされた世界」、「不安にみちた不定詞の連続」と評する、この世界、この「陥し穽」にはまったことのある自分には、その瞬間に転送されてしまったかのような感覚を味わう。

それと、この詩にはなんとなく「うなぎ」の原体験が詰まっている気がする。


モンターレ「鰻」

というわけで、須賀氏版


 鰻よ 氷の海の妖精

 バルチックから はるばると

 われわれの海まで やってくる おまえ

 われわれのくにの入江まで  川底ふかく

 遡り 抗う濁流に揉まれ

 支流から支流へと

 ひとすじ ひとすじ 細くなる流れを

 ただ 中心をもとめて

 岩塊の央へと向う  掘割の

 泥をくぐりぬけ くぐりぬけ ついにある日

 栗の木洩れ陽の するどい光が

 淵の澱みに おまえの閃きを 射とめるまで

 やがて ふたたび 水路に沿って アペニンの

 山々から ロマーニャの野をめざす

 鰻よ 炬火よ 苔よ

 地上の愛の矢

 このくにの峪と 干涸びた

 ピレネーの渓谷だけが おまえの

 熟れた生殖の楽園につながっている

 焦熱と荒涼に喰いつくされたところだけに

 生をもとめる

 緑いろの たましい

 あらゆるものが 燃えつきる その

 瞬間に なにもかもが 始まると

 信じている火花-土ふかく埋もれた枯枝-

 虹-おまえのひたいに燦めく あのひかり

 おまえの棲処の泥に浸った人の子らに

 きらりと光ってみせる あの耀きに そっくりな

 虹を いもうと だと

 信じるだろうか おまえは


(p91-92)

・・・なんか全然違うんですけど・・・

こっちは生命讃歌(というか凄み)を感じる。とてつもなく大きく取れば、生命の強烈な発動も、戦争の増殖(広がっていくとかいうイメージのもっといい言葉はないものか)も、同じ表現を取りうるのかもしれない、とも思う(最初の印象からの自説放棄すればいいだけの話だけど)。

あと、こちらの方が硬い、硬派?な印象もある(それは言葉使いとか、書き方とか)。

この「イタリアの詩人たち」の時期の翻訳は、やはり「空白開け」を多く使っていたのか。漢字も変換で出てこないような拘りのある(この言葉自体も、この数十年で評価反転したけど)ものが多い。

自分はこれまで、20世紀イタリアの詩人を、ウンガレッティ、モンターレ、サバという順で触れてきたけど、それぞれ惹かれるものは多いのだけれど、自分に一番はまりそうなのはモンターレのような気がする。それが須賀氏の場合はサバだったということか。

(おまけ:入力時、「軋」と「峪」の漢字が苦労した。漢字源さまさま。「軋」は「アツ」で「軋轢」の字、「峪」は「ヨク」で「嘉峪関」の字(「コク」ではないみたい。そういえば「浴」も「ヨク」だなあ))
(2022 05/03)

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