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「遠ざかる家」 イタロ・カルヴィーノ
和田忠彦 訳 イタリア叢書 松籟社
日暮里駅北の西口。谷中ぎんざ夕焼けだんだんの頂上の、谷中ぎんざ古書信天翁で購入。
(2017/08/06)
遠ざかる家、改め、建築投機
原題は「建築投機」であったのを、「遠ざかる家」と文学的に?変えた、と訳者和田氏。だけど、「建築投機」でもいいんじゃないかな。
というわけで、150ページくらいだからと、こちらを今日一気読み。
パルティザン出の中産階級、左寄りの思想で政治雑誌の編集したり、映画の仕事したりとふらふらどこにも根をつけていないクイントという男を視点に、リヴィエラの建築ラッシュと、そこで暗躍する貧しい家庭出身のカイゾッティを相手に振り回す決意が振り回される・・・という話。
とりあえず一つ引用。
このおだて合いのゲームからは自分は除外されている、とクイントは感じていた。それどころか全く勘定にも入れられていないのははっきりしていた。そして彼だけでなく家族全員がそうだった。
(p75)
クイント自身はともかく、作者カルヴィーノはそうした浮動する視点を利用してこの作品を書いているようだ。それが1954年からの1年半という時代設定に絡みとられてうまく(同時進行だった「木登り男爵」ほどには)いっていないというのが、訳者のあとがきにある。
その「あとがき」から同時期の〈参加の文学論〉のエッセーの概要。
文学がなしうることは(迷宮と化した世界からの)脱出の道を発見するための最良の態度を規定することである。たとえその脱出の道がひとつの迷宮からまた別の迷宮への移行にすぎないとしても
「文体」は迷宮に立ち向かうための武器である
(p167)
(2018 01/14)