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「帝都最後の恋」 ミロラド・パヴィッチ

三谷恵子 訳  東欧の想像力  松籟社

パヴィッチの本は半分くらい読んだ。タロットカードに対応した章立てになっており、書いてある順番で読むもよし、付録のタロットカードで占って出てきた順で読むもよし、小説無視してタロットカードだけ使うもよし?という、コルタサルのようなカルヴィーノのような… 文体的には、「ハザール事典」や「風の裏側」より余計に?詩的表現が増量したような印象。まあ、ただ前作のディティールを忘れているだけかもしれないのだが… 英語ができれば、パヴィッチのホームページでいろいろ遊べる?のに… 
(2009 08/08) 

帝都とはセルビア語でツァーリグラード、現在のイスタンブールのことなのだが、あと三分の一くらいしか残っていないのにまだセルビアやトリエステから舞台が移らない…いったいいつ出てくるのかな? 

第19章の最後でやっとイスタンブールが姿を現す。全体の八分の一しか残っていないところで。 

そして、ミロラド・パヴィッチの「帝都最後の恋」を読み終えた。章の順番を変えることにより様々な読み方ができる「タロット小説」ではあるけれど、とりあえずは「通常」の順番通りの読み方で。

 ・・・二つの言葉の間の静けさの中で、真実が明らかにされる。なぜなら、二つの言葉の間を支配するのは静けさの海原なんだから。
(p135)


「海原」といって思い出すのは、パヴィッチの「風の裏側」の真ん中の水色のページ。あの小説では、時代すら違う別の男と女の物語が本の両側から進んで来て、その水色のページで溶け合う。 
この「帝都最後の恋」では、対面している男と女なのだが、この言葉を語る男には詩の言葉が何の意味をなさないというが、それを聴く女の方には「海原」を越えて別の意味が伝わる。ということ(らしい)。 そういう意味では、普段の生活の何気ない言葉でも同じ事態は発生する。というかコミュニケーションというものはそういう側面を持っている。
でも、やはり、大事なところというか大部分を読み飛ばしている気が、またしてきた。いつもそうなんだけど、読書には終わりはない、と思う。特にこの小説の場合、あまたある読み方の一つでしか読んでいないわけであるし。
(2009 08/11)

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