「ロード・ジム(上)」 ジョゼフ・コンラッド
鈴木建三 訳 講談社文芸文庫 講談社
現在は柴田元幸訳(河出文庫)でも読める。
想像力は人間の敵か?
昨日からコンラッド「ロード・ジム」を読み始めた。そこで冒頭近くに出てくるのが「人間の敵であり、狂気の父である想像力」という表現である。ん?
小説の始めの方のキーになるの出来事は、ジムが船員として乗り込んだパトナ号が沈没しそうになった時、巡礼客800人を置き去りにして船長やジム等4人だけで逃げてきた、という事件である。ジムは船の上で声を出して巡礼客を起こそうと思うのだが、その瞬間声が出ない。死は恐くなかった、非常事態が恐かった、と書いてある。非常事態での人々のパニック状態、それを一瞬に想像して声が涸れる。そこで、想像力は狂気の父、人間の敵である、となるわけなのだが。
果たしてそうなのか?それはここから読んでいくことでわかっていくことのだろうか。
(2008 01/01)
コンラッドの文章
エピグラフのノヴァーリスの言葉も思い出す。読んでいるこちらの脳の中まで、雲の間から差し込んだ陽の光が通り抜けていくかのようだ。コンラッドの文章はなかなか難解で、この文章も半分も理解できていないかもしれないが、鮮明にイメージの残る文章である。
(2008 01/01)
ジムとシュタイン
まずはジムの簡潔な描写から。
利己的な所は、例えば彼が次々と仕事を変えていく所にも現れている。
上巻の最後の最後の方で、主な登場人物の一人であるシュタインという男が登場する。彼は、冒険家であり商人であり、甲虫や蝶の収集家・博物学者でもあった(最後の蝶の収集家というのは、岩波文庫の「コンラッド短篇集」にも登場する)。例えば、彼の甲虫や蝶の収集は何かの夢の昇華したものなのか?そして、パトナ号の事件以後のジムは、自分の夢に信念にもがき苦しんでいる・・・ところではないだろうか?
「自分だって数々の夢を失ってきた」とシュタインは語り手マーロウ(「闇の奥」の語り手でもある)に語っている。ということで今日で上巻を読み終えた。
(2008 01/03)