「死を忘れるな」 ミュリエル・スパーク
永川玲二 訳 白水社
恐れられている人が恐れてる
ミュリエル・スパーク、読んでいるのは「死を忘れるな」。これ、実は白水社Uブックスに今年なったみたい。だったらそっち今日探すべきだったのに・・・
この小説(なんだか小説久しぶり)、登場人物がほぼ70歳より上という高齢者小説(若くても50歳代(笑))。P50くらいにはこの小説の主な舞台の一つである老人病棟の新任婦長を巡って、みんながこの婦長を恐れていると見舞いに来たレティに対して説明するテーラーが、「実は婦長がここの年寄りを恐れている」と付け加えている。これを作品タイトルに絡めて読むと、死をみんなが恐れているけど、死(神?)の方も人間を恐れている、とこうなる(のかなあ)。
スパークの文体の特徴として、簡潔で文章の繰り返しが多いということを解説では述べている。それは今のところ自分にはリズム感のよい小説というより、堂々巡りでどこが終わりで始まりだかわからない巻物みたいな小説といった感がある。日常生活自体は圧倒的に後者なのだから、これこそリアリズム?
(2015 08/30)
自分以外に自分の存在はあると思うか
…というような言葉が、「死を忘れるな」の副主人公格というか狂言回しというか…から発せられます。どうなのだろう。このセリフはどうやらこの男の愛情表現らしいのだが…この場面は老人病棟での回想にまたその中での回想というおおよそ20年刻みの3時点の事柄が、刻み込まれて並べられている。
この人物は老人心理学?の研究の為として、人物録みたいなのを実に細かくつけているらしい。
…130ページにして、やっと20代の人物が出てきた…
犯人は死神?
「死を忘れるな」も中盤にさしかかり、いろんな方向に話は進んでいくけど、なんだか一番肝心なところをつかみ損ねているような気もだんだんしてくる…
そんな中、小説中を貫くミステリーである「死を忘れるな」電話の被害者?が知り合いの元刑事の家に集まって話をする、という場面が出てくる。といってもレティなどはこの刑事こそ犯人なのでは、と思っているみたいだけど…
その元刑事モーティマーはこんなことを言い出す。
(白味というのは訳者永川氏の狙った当て字か?)
こういう意味のことが解説にも出てくる。そして何より哲学は死の練習とかなんとか言っていたような。ソクラテス?
だったら、この忠告?に耳を傾けるかどうかで登場人物のこれからが決まるのか。
ということでモーティマーはこの電話犯人を死神ではないか、と言ってはいるが…そんな彼のところにも電話は来る。それも彼のところだけは女声で…
そして、この会合では、今まで出てこなかった、出てきている人々にも面識のない人々が被害者?として集まっている、というのも気になるところ。最初の小説構想からはみ出して一人歩きし出したのか。どこまで膨らむのか。気になるところ。
今晩辺り、自分のところにも?
(2015 09/01)
近代の鋭さ、古代の笑い
「死を忘れるな」を今さっき読み終えた。
元?小説家であるチャーミアンの言葉。まあ、だいたいの小説家(スパークも?)が上手くできた作品は登場人物が作者の意図を越えて勝手に動く、と言うけれど、その原因というか結果というか、作品はかなり複雑になってしまう。
解説には、古代エジプトの宴会でのドクロや古代ローマの皇帝の背後の奴隷始めとした「メメントモリ」の系譜に触れている。シェークスピアなどにある道化もその系譜に位置付けられる。そして解説では同じカトリック改宗者作家のグリーンと比較して、グリーンには現代的なきびしさが、スパークには古代的なおおらかさがある、と書いてある。
おおらかな、笑い。例えばこんなところはどうだろうか。ガイとパーシーの喧嘩?の場面から。
スパークっていう作家は、ひょっとしたら最初に名言や細かな場面を作って、後でジグソーパズルかモザイク画みたいにはめ込んで作っているんではないかな、なんて思えてしまう。いろいろな憐れみを繋ぎ目として。
(2015 09/02)
「死を忘れるな」補
結局、あの電話は何だったのか。作者は直接的な謎解きをしていない。ほんとに死神からだったのか。まあ、小説の構造的には転換をもたらす要所に配置されてた感じだけど。
都市の様々な人々を追い、最後の方に火事がある、ということで最近読んだ中では「空気の済んだ大地」?を思い出してもいたけど…どうだろう?それに関して作者の鉄槌が下る感?はフェンテスに比べるとかなり弱め、というかほとんど老人だからほとんど死んでしまうし…もっとも鉄槌下りそうなやり手家政婦やエリックは平気で生きてるし…
最後の方に出てくるマシューとビーンというのもなんか対比ありそうだけど…聖書関係?
(2015 09/03)