「宰相の象の物語」 イヴォ・アンドリッチ
栗原成郎 訳 東欧の想像力 松籟社
イヴォ・アンドリッチ「宰相の象の物語」。表題作の他、「シナンの僧院に死す」、「絨毯」、「アニカの時代」の4編。アンドリッチは外交官としても、ポーランドの知識人たちを強制収容所行きから救おうと奔走したり(うまくいかなかったけれど)している。
訳者栗原成郎氏は、以前「ロシア異界幻想」(岩波新書)を読んだ、スラブ文献学、言語文化学の研究者。
この(中)短編集、計4編。
「宰相の象の物語」はトラーヴニク(ボスニア西部)「シナンの僧院に死す」と「絨毯」はサライェヴォ(サラエボ)
「アニカの時代」はヴィシェグラード(ボスニア東部)。
この三つの街はアンドリッチの縁の街でもあり、子供時代はヴィシェグラードの叔母の家(例の橋のすぐ近く)、それから母の家サライェヴォ(父はアンドリッチ2歳の時に亡くなる)、青年時代にはトラーヴニク(この街の近くには生地のドラツもある)。
それがそれぞれ代表作の地にもなっていて「ドリナの橋」がヴィシェグラード、「サラエボの女」がサライェヴォ、「ボスニア物語」がトラーヴニクという具合。
「宰相の象の物語」
表題作。オスマン朝時代、トラーヴニク(ボスニア西部の町)に、新しい宰相が赴任することになり、町の人々は様々な手を使ってこの新宰相のことを調べようとする。
こういう文章読むと、著者は物事の裏の裏まで見通しているな、と思う。残酷なのに一種の寓話になってしまうのだろう。この著者にかかると…
(2020 12/08)
これは短編最後にまた舞い戻ってくるテーマ。
物語は、残酷な新宰相とその所有なる仔象フィル、それからそれに対するトラーヴニクの商店主たち。徹底的に町の人々側から書かれ、実際の恐怖は赴任時の有力者40人くらいを虐殺した時と、フィルが商店街で小便したり棚ひっくり返したり、そのくらいしか描かれない。p40の文にあるように、町の人々側でいろいろ語り出され、感情が溜まっていくばかり。そんなことをしているうちに、宰相側では自分の行き詰まりを感じ自殺してしまう。それを追うようにフィルも。
でも、日本の江戸時代享保年間に象が献上された話とは大違いだな。
(2020 12/13)
「シナンの僧院に死す」
(「僧院」には「テキヤ」とルビがふってある)
導者として尊敬されている老アリデデ師が故郷のサラエボ(この本中だとサライェヴォ)に帰り、シナンの僧院で死を迎える。その最期に浮かび上がってきた二つの囚われとは。
いろいろに解釈してもいいし、一つに限定すべきでもないと思う。要はこの物語の配置でどこまで読者が考えて「遊ぶ」ことができるか、だと思う。例えば、幼年時代の春の洪水という要素をどう考えてみるのか。第一次性徴期と結びつけるのはどうか。となると、青年時代は情念、観念…
他の可能性も考えてみよう。
(2020 12/14)
「絨毯」
第二次世界大戦中のクロアチアのナチス傀儡政権ウスタシャに弁明に行くカータ婆さんと、その時絨毯見ながら思い出した1878年、サライェヴォへのオーストリア軍侵攻の際のアンジャ婆さんが二重写しになっている小説。カータ婆さんは作者の母が投影されている、という。侵攻してきた軍隊の略奪品を受け取るな、というアンジャ婆さんの毅然とした態度が印象的。それをそういった立派な行動だけを描き出すのではなく、p111の文のように見た幻想から炙り出していくのがアンドリッチ流。p109の文はそこまでよく悪く書けるなあ(笑)という見本みたいな箇所。
p112みたいな目覚めは、スケールは全然違うけど、自分にも確かにある…
(2020 12/16)
「アニカの時代」
土曜日中に読み終えられなかった。25時までかかった。
序としてヴゥヤディン神父の憎悪(p127の文にあるような)から、隣家の夜の農作業の庭に発砲し捕らえられた狂気の発現に至るまで。そしてそれを説明するものとして、街の人が先々代の「アニカの時代」についての話をする、という前の短編「絨毯」にも似た構成なのだが、序の部分もそれなりにあるため、序プラス「アニカの時代」三部の計四部構成にも見える。p135の文はヴゥヤディン神父の噂話をする農婦の箇所から。
「アニカの時代」の本体は、ミハイロという青年に「振られた」アニカが、娼婦となって田舎街ヴィシェグラードの悪となる。が、教会の庭に居座って大揉めになる事件の後、アニカはラレ(アニカの兄、パン屋を継ぐが、精神遅滞気味)とミハイロを呼ぶ。
ミハイロはこの街に来る前に、別の夫持ちの女と出会い結果的に夫の殺害を手伝うことになったトラウマがあり、それと「さよなら」するために、本人の言葉で言うと「自分の腹に刺さったナイフを抜くために」、アニカを殺そうとする、が来た時には既にアニカは殺されていた。ミハイロはこの時はラレも呼びつけられていたことは知らなかったが、ラレのナイフがそこに血塗れで置かれていたのを見て、血を洗い流し、それを持って街を出る。二人の男は街を出てそれぞれ別方向に向かう。ミハイロの親方は彼を懐かしく思い飲む…
という展開。
二つの謎。
1、ミハイロはこの小説の中心人物であるが、ラレはほとんど描かれることはない。ラレよりアニカの方が背が高く、パン屋としてはうまくやっている…くらいしか。果たしてラレの「筋」には何があったのか。それは各読者が再構成するしかない。
2、結局、このアニカの話と序のヴゥヤディン神父の発狂とは何のつながりが…ヴゥヤディン神父の家系のうち、銃を持ったことが言及されないのはヴゥヤディン神父の父のみ(曽祖父はアニカの乱痴気騒ぎに対し発砲しようとしたし、祖父はアニカに惚れ込みアニカのもとにやってきた市長を銃で撃った)。そういう家系なのだ…で、済むのかな? とにかく確かなのはこれでヴゥヤディン神父の家系が断絶したことだけ。
(2020 12/20)
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