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「カルタゴ」 マドレーヌ・ウルス=ミエダン

高田邦彦 訳  白水社文庫クセジュ  白水社

カルタゴの幼子犠牲の実際

紀元前800年頃オリエントのテュロスというところから植民者がエリッサに引き連れられてやってきた。このエリッサは後にディドーと名付けられる人物と同一人物。最初の頃は現地住民に貢納していたみたい。
宗教他いろいろな面でテュロスのものを維持していく「保守主義」的な要素がある、と書いてある。その中に「幼子(長子)犠牲」があったかはまだ議論の余地があるみたい、だけどこの本の著者はあったとしている。また犠牲料金表(鳥獣など)もみつかっており、これは聖書レビ記にあるヘブライのものと共通性があることが判明している。

解説にはなんか大きく出て?ローマ的帝国とカルタゴ的帝国の勝敗が後に西欧列強帝国主義を産む元凶になったのではとか、幼子犠牲は人口調整機能ではないか(それはあるかもしれないけど、現代史までそれを持ち込むのはどうかなあ・・・)とか、いろいろ書いてあるけど(笑)。だいたいがカルタゴ的帝国が本当に平和主義だったかはわからないし。

カルタゴの交易


昨日買った白水社文庫クセジュシリーズから「カルタゴ」。文庫といってもサイズは新書…このシリーズはフランスのものなので、内容も書きっぷりも、今の主流とされている英米的なものとは違った感じで見られるのがいい。
カルタゴが古くから執政2人制の合議制をとっていたということ。ハンノという将軍?が、ジブラルタルを越えアフリカセネガルまで交易行ってたということ。北西側は今のガリシア地方からコーンウォール、アイルランドまで行ってたということ。アフリカでは金、ヒスパニアでは銀、コーンウォールでは錫を産出していたこと。
(2012 04/02)

カルタゴのその後


昨日読み始めた「カルタゴ」、今日、ローマ期とビザンチン期のカルタゴのところと結びの章読み終えて、読了。
カルタゴの滅亡後24年後、グラックス兄弟の弟がここに植民都市を造る。後にカエサルとアウグスティヌスが新植民都市を造る。帝政期には小麦をローマへ供給する港となり、ポエニ人の信仰深さを受け継いで、ポエニ時代の神やキリスト教も盛んになった。
ゲルマン民族の侵入後、今度はビザンチン帝国が都市を再興しようとするが、こちらはうまくいかないままにイスラムの侵攻を受けた時には既に無人の都市(に近かった)という。カルタゴのその後についてはあんまり言及されてなかっただけに貴重なところ。

結びについては、ポエニ人を商業の民、とだけしていいのか?と著者から問いかけ。芸術を生み出すのはあんまり得意ではなかったけれど、芸術を愛好する方はいろいろあったみたい。文学は信仰深さとあいまって盛んと思われており、3人の作家の名前が知られているが、ローマ侵攻時にスキピオヌス(ローマ側の将軍)が配慮して各地に著作を逃したというけど、未だ発見されていない、という。
(2012 04/03)

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