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「北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史」 私市正年

白水社

伝統的イスラームに対し、イスラームの改革を目指す方向は冒頭の表によると二種類あるという。西洋近代化寄りとイスラーム国家寄り。

まずは現代に至るまでのマグレブ地域の歴史を概観。ただ概観しているだけではなくて、後書き読めばこれが現代へと続いていることがわかるしかけ。ということで、まず後書きから読むとこの本(ひいては私市氏の考え方も)がわかりやすくなるかも。
(2015 11/29)

実はチビチビ読んでいた私市氏の北アフリカイスラーム主義の歴史。話が独立後になってきて、チュニジアでは政教分離を目指すブルキバがラマダーン中にわざわざジュースを飲む映像をテレビで流したり、モロッコではマフザン体制という王制の構造と西洋的近代政治組織の二重構造の中で国王へ権力集中させてたり。
(2016 04/08)

果実の中の虫


北アフリカイスラーム主義の歴史の第二部今朝読み終え。
1960~1980年代にかけてのイスラーム主義の勃興の過程を三国別に概略。外側からではイメージつきにくいその背景を、非公認モスクでの説教、パキスタンやエジプトなどからのボーイスカウトにも似たイスラーム結社の支部設置、新旧マルクス主義者(フランス語話者が多い)との対立と権威者側からの利用、地震の復興活動への参加など内側に立った視点で眺められる。
チュニジアではイスラーム主義組織を首相は公認しようとしたがブルキバが認めなかったとか、モロッコではホメイニーに追われたパフレヴィー朝の王の亡命を認めた為に民衆の反感をかったり。

マグレブ諸国は地中海を挟んで西欧と向き合っていることから、受信衛星を通して西欧のテレビが多く見られている。これもイスラーム主義者にとっては悩みの種。

 私は自分の子供たちを、暴力とセックスでしかない番組の前に座らせることはできない。私にとって衛星受信アンテナは、果実のなかの幼虫のように私たちを壊滅させる、最新の発明品である
(p123~124)

アルジェリアの当時38歳の技師へのインタビューから(1989年)。でも、それは国家統制されていない外側の情報を取り入れる窓口でもある。それだからこその悩みの種…
いずれにせよ、1970年代を転換点に近代化の限界とイスラーム主義の興隆が起こったのは確かのようだ。

チュニジアのイスラーム主義運動の盛衰


さっきの続き。第三部のチュニジア編。
結論としてチュニジアでは1980年代後半にかなりの盛り上がりを見せ、1990年代初頭には早くも失速する。失速の原因としては都市貧困層の若者と都市中間層との意見の相違のほか、湾岸戦争による思想の過激化とそれに対する体制側の弾圧、暴力に対するチュニジア民衆の嫌悪感、フランスなどのベン・アリー体制の支持と援助、隣国アルジェリアのイスラーム政党FISの失敗など。チュニジアの世論は近代世俗化と穏健イスラーム主義の間くらいみたいだけど、この間のバルドー美術館襲撃事件などまだ安定しているとは言えないのかな。
民衆の支持を失った思想は過激化し末路的になるのか…
(2016 04/12)

サマーキャンプinモロッコ


第三部のモロッコ編。ここでは2つの穏健的イスラーム主義組織を。
1つめは非公認ながら地道に擬似国家並みに広がっている。擬似国家とか講のようなものとかの点では、前にみたセネガルの聖者信仰団体に近いのかな。
(補足:「可能性としての国家誌ー現代アフリカの国家と人と宗教」小川了 世界思想社 関連書籍参照)
セウタとかのスペイン領から流れてくる家電製品の売買とか、各地の海岸で行われるサマーキャンプなどかなり大規模な活動。この団体が国家から非公認である一因は、この団体の創始者がモロッコ王制を認めないところにある。
もう1つは政党として公認された公正発展党というもの。隣のアルジェリアでイスラーム政党が選挙に勝利したことから大規模な内戦になったことから、こちらの政党はかなり慎重、かつ周りも過度に緊張しているように見える。
実際にテロ事件も起こり、それはアフガニスタン帰りの暴力的な別グループの犯行であったが、そこと上記穏健的イスラーム主義組織が全くつながりないかと言えば、そうでもないらしい。
だからといって、ただスカーフとか髭を生やしていたからって(過激原理主義者と間違えられ)タクシー乗車拒否されるのもどうかと…
(2016 04/14)

アルジェリア内戦と、アラブの春の胎動


 世界の多くのイスラーム主義運動は、長い時間とエネルギーをかけて、体制にもムスリムにも、自分たちは過激な運動とは違うのだということを理解させようと努めてきた。にもかかわらず、その努力を、アルジェリアのテロリズムが無にした。・・・(中略)・・・また、敬虔な中間層に近い立場の知識人たちも、自分たちが支持するイスラーム主義運動を過激派思想から区別するため、イスラームと民主主義思想との調和による、安定したムスリム社会を構築する理論を主張してきたわけだが、その努力も報われなかったということになる。
(p255〜256)


なんだが私市氏の溜息が行間からにじみ出してきそうな文章であるが・・・
というわけで、今日はそのアルジェリアで選挙の中止とクーデターから10年あまりの内戦の中で、イスラーム主義運動が運動から単なるテロリズムへと移っていく過程を追う。現在はイスラーム主義運動がまた支持をえることはないとしているが。
現体制に対する不満がなくなったわけではない。「おわりに」の文章はこの後に起こるアラブの春を予測しているようにも読める。


 一九九〇年代後半における新しい現象は、インターネットに代表される情報革命である。
 多様な思想や、価値観、運動、組織などが、自由にムスリムのなかに浸透し、交換され始めた。
 情報メディアの多元化および国境を越えた表現の自由が、体制の強権政治にブレーキをかけ、また、他者への寛容と相互理解への道を準備するかもしれない。
(p300)


アラブの春はいったい何処へ・・・
(私市氏には「イスラーム地域の民衆運動と民主化」という編者としての本もあるからそこで詳しくこの辺のことかいてあるのかも)
(2016 04/17)

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