「愛されたもの」 イーヴリン・ウォー
中村健二・出淵博 訳 岩波文庫 岩波書店
雑学
その1
この「愛されたもの」はこれを入れて計4部の翻訳がある。
「愛されたもの」岩波文庫
「囁きの霊園」早川書房
「華麗なる死者」主婦の友社
「ご遺体」光文社古典新訳文庫
4種類とも作品タイトル違う…
その2
イーヴリンという名前は、男女両方に用いられる名前らしい。ウィキペディアにはここから派生した小ネタが3つ。
1、ウォーの最初の結婚相手もイーヴリン(女性)。
2、第二次世界大戦で入営した時、女性が来ると思われて、髭を剃って花束持って出迎えられた。
3、2016年の「タイム」誌の「大学の授業で最も読まれている女性作家100人」という記事の97位に掲載された。
そんなに長くない経歴紹介の中でここまで出てくるというのは、ウィキの筆者になんらかの拘りがあるんでは…
この岩波文庫版は、以前出淵、中村の共訳だったものの改訳。出淵氏の訳部分には基本的には手を加えないで、夫人に了承を得た上で、この改訳版も「共訳」とした、という。
イギリス人は絶対にしない仕事
物語の場所はロンドンではなくハリウッド。アメリカのイギリス人三人が話している。サー・フランシスとサー・アンブローズ、それに若い詩人でもあるバーローが給事している、そんな場面から始まる。二人のサー、フランシスが「老人」でアンブローズが「初老」とある。この二人が交互に何かを話している。
サー・フランシスは若いバーローを家に泊めている。バーローは映画社を飛び出し、別の仕事に就いた。それをここでサー・アンブローズに暗に咎められている。
うちの会社にもシュルツ氏いないかなあ…
それはともかく、「静かなる地の涯」というのはテニソンの「ティトーノス」という詩から。詩人であるバーローは空軍の生活で「詩の愛好者から、詩の中毒患者に変えてしまっていた」。p25の注からすると、不死の元で最後には蟬に変えられてしまったティトーノスは、サー・フランシスの運命を暗示している、のだそうだ。
というわけで、バーローの今の職場、サー・アンブローズが「イギリス人は絶対にしない仕事」と言っていた仕事とは葬儀社のこと。でも、ペット専門の葬儀社みたいなのだが。
一方、長年勤めていた映画社をクビになり、ハリウッドのイギリス人社会の創始者のような存在のサー・フランシスは自死したみたいで、サー・アンブローズの指示によりバーローが葬儀を取り仕切る(バーローがサー・フランシスの首吊り遺体を見た)…という幕開けの展開。
(そ言えば、シュルツ氏は最後まで給料上げなかった。ま、そんなものか)
(2021 01/22)
囁きの森
(昨夜読んだ分)
デニス・バーローはサー・フランシスの葬儀の為に葬儀社囁きの森へとやってきた。彼のペット葬儀社の隣にある。
…という中で、この次に出てきた遺体整形係?の娘はそうではなく、バーローは気になる…
エイミーという名前
(ここから今日読んだ分)
なんらかのパロディであることは確かだけど、なんだろう。ウォーを通して考えるならば葬儀というのを文学に変えるといいのかな。
遺体修復処理されたサー・フランシスを見たデニス・バーローの感想。
その後、サー・フランシスのオードを作ろうと囁きの森を歩く。湖の島に渡ったデニス(p110のこの島に墓所を求めた「果樹王」カイザーの商品の何か、「ぐしゃりとした甘い綿の玉のようなもの」というのも何かの象徴か)。そこで先述の遺体整形係の女性エイミーに、ここでは私的に出会う。
エイミーという名前に関する二つの鍵。
1、エイミーの父は宗教で破産したという。フォー・スクエア・ゴスペル教という、1920年代実在したアメリカ福音派の宗教で、教祖がエイミー・マクファーソンという。エイミーはこれに因んだ名前なのだが、破産後、父母も本人も名前を変えたがった…が、何故かエイミーのままになった。
2、エイミーのフルネームはエイミー・サナトジェナス…ギリシャ語のタナトス(死)とゲノス(種族)を掛け合わせた姓。名のエイミーはフランス語で「愛された(もの)」の意味。なんだ小説のタイトル(に通じる)じゃないか…
ということで、エイミーとデニスの間が動き出しそうなのだが、詩引用中毒者?デニスが「いくたびか/安らけき死に半ば恋しつつ…」と引くキーツの「夜鳴鶯に寄せるオード」がエイミーの運命を予兆している、と注にはある。前のティトーノスもそうだったけど、この小説、詩が作品の重要な蝶番的役割をしている。
(2021 01/23)
「愛されたもの」を書く人、読む人
エイミーの自死の直前から。この前に古代ギリシャの情景が夢想され、もうエイミーの中ではデニスもジョイボイ氏も関係しなくなっている、ということから、彼女は現代ではない、どこかを目指していたのではないか。
それは、前にエイミーに贈られ、エイミーの葬式(というか遺体処理…囁きの森ではなく幸せの園(ペット専用))で一人デニスが引くこの詩にも呼応している。
しかし、彼はこれを再出発の基点とする。p136で、エイミーより詩のミューズに応えることが重要と言っているように、彼は(ジョイボイ氏から分捕った千ドルを元に)イギリスへ帰還し、作品を書く。多分それは「愛されたもの」というこの作品自体だろう。作品冒頭でこの作品が掲載された「ホライズン」誌と編集長コノリーの名前がそれを示している(というのは解説読んで知る)。
逆向きの「ヘンリー・ジェイムズ問題」
というわけで解説。
デニスとエイミーの関係は「ヘンリー・ジェイムズ問題」(作品内で直接言及あり)の図式だが、サー・フランシス、そしてデニスの経歴は裏返された「ヘンリー・ジェイムズ問題」と言える。そして、この作品書いたウォーとデニスが重ねられていることから、ウォー自身もそこから逃れられない、自分を含めた全体を嘲笑しようという意識があると思う。
(逆向きの「ヘンリー・ジェイムズ問題」についての作品は、この後1960年代に多数書かれたと、初版で出淵氏が書いているのだが、オリエンタリズムやポストコロニアル思想が全面展開している今日、それらに吸収されている、とこの文庫の解説で中村氏は述べている)
(2021 01/24)
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